諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

申し訳ないですけど、瀬織津姫がマグダラのマリアである筈は無いですよ。その5

2018年10月17日 23時58分41秒 | 瀬織津姫
迷いに迷って長文になってしまいました。罪の女をマグダラのマリアとして語ります。続きます。

罪の女はベタニアのマリアとしても語られています。

ストーリーはファリサイ派のシモンの家にイエスが招待され食事をしていた。そこに香油が入った壺を持って女性が現れた。

女は大泣きしながらイエスの足を涙で濡らし、自分の髪で拭いながらイエスの足にキス。そして香油を足に塗り始めた。

香油の香りが漂う。イエスの弟子はその香油が現在の日本円で一瓶300万円もするナルドの香油だと気付き、「なんて勿体ない事すんだ。止めれ。安いオリーブオイルにしとけ」とか言い放ちます。

シモンは「イエスが預言者であるなら、この女が街で卑下されている罪深き女である事が分かる筈だ」と考える。

イエスはシモンの考えを察知。シモンに「二人に50デナリと500デナリを貸した。返さなくてよいと言った。多く感謝するのはどっちだ」と聞く。

シモンは「500デナリ貸した方です」と答える。

イエスは「その通りだ」と答えた。

続けてイエスはシモンに対し「貴方は私に足を洗う水も与えなかった。足にキスもしなかった。香油も塗ってくれなかった。この女は私を多く愛してくれたら多くの罪が許された。少しだけ許された者は、少ししか愛さない」と語る。

この考え方は神社のお百度参りと或る意味、同じですね。そして新興宗教でも信者からお金を巻き上げる為に使われる。財産を全部提出させる口実になっています。その金を得るのは教祖ととの幹部なのに。

でも、アメリカで寄付をする人が多いのはその考え方が浸透している事も寄与しています。恵まれない人にお金を恵んでやる事は、正負の法則からも良いと思います。

ここまでのストーリーで言える事は、イエスの弟子達やシモンよりも罪深き女の方がイエスに対しての信仰が深いと言う事。イエスの信者の最高位にこの罪深き女が就いた事です。

ところで、この罪深き女の罪とは何なのか。一般的にこの罪深き女性は娼婦と考えられています。

私の想像では娼婦って生活に困って止む無くやるって感じだったのですが、生活に困っていて推定300万円のナルドの香油が買えるのはおかしい。これは女性版姦淫の罪って事になると思われます。

この罪の女は金持ちの出で、美貌にも恵まれていた。快楽の為に娼婦になったと考えられます。

何と言いましょうか。そっち方面が好きでお金は二の次だったのでしょう。

私は行った事ありませんが、ホスト遊びをしている大半の女性は風俗の方らしいです。ドンペリのジャンパンタワーなんかで、一晩に300万円以上使う女性も珍しくないとか。そんな感じの女性をイメージします。

そう言えば細○数○も一晩に800万円使ったと聞いていますが、その罪の女にとっても300万円位ははした金。ナルドの香油をイエスの為に使ったとしても完璧なる信仰心とは言えないかもです。

それでもイエスの存在を知って自身の罪を悔い改めた。その印、或いは証明としてナルドの香油でイエスの身体を清めた。そんな感じだったのではないでしょうか。

現にその罪深き女性と思われるマリアは、イエスが処刑されるのを何も行動せず見ていました。イエスが神だと確信しているのであれば、殺されたって止めに入る筈です。

まっ、それを言っちゃうとイエスの弟子なんかはユダヤ教の役人に「お前はイエスの弟子だろ」とイエスの前で聞かれても、「弟子ではない。こんな人、知らない」と言ってすっとぼけています。

そんな弟子達よりはマシかも知れませんが、殉死したりする昔の日本人の忠義心よりは大分低い信仰心だったと思えます。


続く。







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