諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

申し訳ないですけど、瀬織津姫がマグダラのマリアの筈は無いですよ。その3

2018年10月10日 03時34分08秒 | 瀬織津姫
どう終わらせて良いやら思案していますが続きです。

さて、本当にマグダラのマリアに付いてですが、大変困った事をまた思い出しました。

私、マグダラのマリアに付いて殆ど知らなかった。それどころか、マグダラのマリアに付いてハッキリと語れる人なんて存在しない。それなのにこんなお題で書いてしまっている。どうしよう。

最初から弁解ですが、私がマグダラのマリアに付いて知らないのも無理はありません。私が通っていた学校はプロテスタントでしたので。

マグダラのマリアはカトリックでは聖人とされますが、プロテスタントでは「イエスに香油を注いだ女性かもね」程度で語られているだけです。聖書の授業でマグダラのマリアなんて習っていません。マグダラのマリアなんて出て来ません。

それどころかマグダラのマリアへの解釈は多岐に渡るのです。どれが正しいのは分らない。

そう言うところ、スピリチュアルな人達は大好きでしょ。それで昔から色んな風に言われちゃうから、何が何だか分らないのですよ。

プロテスタントでは罪深き女・娼婦マリアとマグダラのマリアは同一視していません。カトリックでは同一視している宗派が存在する。それを私ごときが「娼婦マリア=マグダラのマリア」として語って良いものかも疑問。

更にそれどころかイエスの母親の聖母マリアへの信仰もプロテスタントでは禁じられています。

何たって神はイエス・キリスト以外は有り得ない。マグダラのマリアや聖母マリアへの信仰は偶像崇拝とされていますので。

あっ、そうそう。私はプロテスタントのキリスト教を学んだと言うより、キリスト教成立の歴史の本を読んでいるのでイエスの存在も疑問視しています。

バクテスマのヨハネの弟子の大工のイエスは存在していたと考えていますが、そのイエスが処刑されて何故か遺体が何時の間にか消えた。その話がデコレーションされ、イエスのモデルと集合されイエスキリストが創造されたと考えます。

それとイエスの周りにはマリアさんだらけなのは、やはり聖婚、ヒロエスガモスの考えからでしょう(詳しくは以前書いた「聖婚(ヒロエスガモス)」を読んで頂戴)。イエスのモデルであるアスクレピオスへの信仰に対抗する為に。

さて、大それた事をさらっと書きましたが、どうしたもんかなぁー。実はまだ考えが練りあがっていない点があります。

カトリックではイエスに香油を注いだマリアと言う娼婦がマグダラのマリアだとされています。

イエスはメシアと呼ばれていますが、メシアとは「香油を注がれた者」と言う意味なのです。

つまりイエスは娼婦マリアに香油を注がれた事によって神に成ったとも考えられるのです。これが分らないなぁー。私が深く考え過ぎているのかなぁー。何か意味があると思うのですが。

うーん、こんな事ばっかり言っていると全然前に進まない。娼婦マリアのストーリーで述べたいと思います。

スピリチュアルな人は最早どうでも良いですが、キリスト教の知識のある人と言うか、カトリック関係の方は多少なりとも違和感や不審な点があるやと存じますが、その点は穏便にお願いします。

それでは娼婦マリアのストーリーです。


続く。

コメント
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