諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

申し訳ないですけど、瀬織津姫がマグダラのマリアである筈は無いですよ。その4

2018年10月14日 23時53分05秒 | 瀬織津姫
困っちゃった。出来れば最初からやり直したい。それでも何とかして終わらせたいと思います。続きです。

さて、そんでわ、娼婦マリアをマグダラのマリアだとして語ります。

でも、難しいんだよなぁー。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書では多少ストーリーが変わっていますので。

それにカトリックの聖書は新共同約。プロテスタントは新共同約のところもあるけど、私の通っていた学校は新改約。聖書自体にも違いがある。これで全ての人に納得せよと言うのも無理が有る。本当にどうしよう。

まっ、いいや。悩んでいても仕方がない。そこまで深く考えず、ほぼ共通している部分をあっさりと書きます。

さてさて、これらの福音書の中で一番最初に書かれたのは「マルコによる福音書」です。正直、味も素っ気もないとは言いませんが、一番シンプルな表現で書かれています。

その反対なのは「マタイによる福音書」。「マルコによる福音書」をベースとして様々な出来事をデコレーションして書かれています。そこが不審なのです。

一番最初に書かれているものが一番真実に近いと私は思います。

「マルコによる福音書」が存在しなければ、外の福音書も誕生していなかった可能性が高い。そこが重要。

マルコから20数年経って残りの福音書が書かれた訳ですが、私が作者なら有る事無い事盛っちゃいます。本は読まれてなんぼ。作者根性と申しましょうか、でっち上げて書き上げると思うのですよ。オリジナルよりももっとドラスチックなストーリーの方が、読む人も喜ぶでしょうから。

その点が「本当はイエスなんて居ないのでは」と思っちゃう理由です。怒られちゃいますが。

その話しをしちゃうととんでもなく長くなります。マグダラのマリアに戻ります。・

先ず、最初にスピリチュアル関係の方は誤解していると思いますが、マグダラのマリアはイエス・キリストと結婚していたと言うのは、あくまでも仮説です。二人の間にはサラと言う娘がいると言う話も1990年代に発表された仮説。

その仮説を元に映画にもなったベストセラーの「ダ・ヴィンチ・コード」が発表されましたが、その映画を見てマグダラのマリアとイエスは夫婦でラブラブと思っちゃうのって、余りにもミーハー過ぎると思います。

それを事実として語るヒーラーさんが大勢いますが、本当に霊能力があるのなら何で「ダ・ヴィンチ・コード」が発表される前にその事を言わなかったのでしょう。

「瀬織津姫=マグダラのマリア」とY氏が語ってから、大勢のヒーラーがそれを事実として語り始めましたが、何で霊能者なのに、瀬織津姫と会話が出来ると言いながら、その前に誰も言わなかったのでしょう。

瀬織津姫は縁結びの神で、「瀬織津姫が直接貴女に恋愛をレクチャーします」っと何とか言って、遠距離リーディングとか何とかで馬鹿な客から大金を巻き上げている霊能者もいますが、こんなホラ話を信じてしまう女性にも問題がある。騙される方も精神病を疑うくらいバカとしか思えない。

そんな人に何を言ってもしょうがないのかもかも。

私が何を言っても信じないと思いますが、1点だけマグダラのマリアが神ではない、つまり神である瀬織津姫ではない部分を語ります。


続く。





コメント (2)
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