諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

悪だから進化する。悪は生きる為の本能ではないのか。その1

2018年10月23日 22時22分24秒 | 人生
どんなもんでしょう、今回のお題。

こんな事ばかり考えていると最後には自殺したくなるのではないかと滅入ります。

こんな事は考えずにシンプルに生きたいものですが、最近増している掌と膝、そして心の痛みがそうさせているみたい。生物は皆、痛みに大変弱いものですから。

さて、自分で言うのも可笑しいですが、私にも当然、善悪の心が当然あります。どちらかと言うと善の心の方が強い様です。

これ、自慢じゃありません。悪を発動すると必ず禍が起きる。何者かに悪が規制されている。だから悪の発動を制御している。それだけの話です。その規制がなければ悪に走るかも知れんです。

生き物は生きる為に悪に走ります。肉食獣はそれが本能と言えます。狩る相手に同情しては自分が生きられない。悪は生きる為に必要な本能。悪でないと生きられない。生き残れない。其れは自然の摂理でもあると思えます。

悪に向いていない者。其れは自然界では弱者です。馬鹿です。

心に余裕が有り過ぎる。生きる気力が無い。それが馬鹿と言えます。

そして馬鹿は利用される。狩られる。犠牲になる。

その馬鹿が皆、幸せに生きられる世の中が平和なのだと思いますが、誰かが幸せになれば誰かが不幸になる。それが世の中の摂理。誰もが平和を享受するのは有り得ない。

人間は霊長類最強として地球に君臨していますが、其れはどんな生物よりも悪の心が強かったからだと言えます。

つまり頭脳の進化は悪が源。「頭の良さ=悪」。全部とは言いませんが一部分は完全にそうです。これは断言出来ます。

何故、そう思うのか。大変残念ながらその証明が出来ます。

ここから先、多くの人に非難されるでしょうがズラッとして書いちゃいます。私も納得いかない部分があります。それを自問自答しながら書きたいと思います。

さて、私の好きな牡鹿半島の先端には日本三大霊場の金華山が浮かんでいます。金華山は島ですからね。

ただ、浮かんでいる島は金華山だけじゃありません。網地島と田代島も有ります。

全国的には猫が住む島として田代島の方が有名ですが、網地島にも多くの猫が住んでいるみたいです。

私、知らなかったのですが、田代島は野良猫、網地島は外猫が住んでるそうです。

外猫と言うのは「外で飼っている猫」で家には入れないとの事。これは良いのかなぁー、悪いのかなぁー。

野良猫よりは良いのかも知れないけど冬は寒いだろうなぁー。多分、軒下に寝床が有るのだろうけど。

以前は家猫として飼っていた猫も食事の残りを猫に出す民宿周辺に居ついて、家に帰らなくなって外猫になる奴もいるそうです。

猫は食べ物が有れば人に左右されないで生きる方が良いのかも知れない。

私の母方の実家や伯母の家は福島県いわき市の山の中で梨園やっていて猫を飼っていて、自由に家を出入りさせていましたが、やっぱり交通事故で亡くなったりしています。

家で飼われていると野生の勘が働かなくなり事故に遭いやすいそうです。

猫の目は昼間は黒目が狭くなり、左右の動きが見えにくくなり事故に遭う。だから外に出さない方が良いのだそうです。

猫共存アパートを経営している大家さんも猫を部屋から一切出さないそうですが、私が猫ならそこまでして生きていたくはない。餌が有るのなら事故の危険があっても外で生きる方を選びます。

私も秘密の場所に定期的に猫の餌を置いていますが、その方が猫も自由で良いと考えています。

どっちにしてもクルマの交通量がほとんどない田代島、網地島は猫たちのパラダイスに近いのかも知れないですね。

うーん、全然関係ない話をしてしまいました。

本題に戻ります。


続く。

コメント (3)
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