諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

太宰治と三島由紀夫。そして芥川龍之介。それぞれの感情。その2

2019年04月19日 17時23分01秒 | 読書
知らなかったのですが、gooブログがリニューアルされて「早く続きを」のボタンが設定されたみたいですね。期待されて嬉しいですが、期待される事に慣れていない人生を送って来た私。ちょっとプレッシャー。そんなに期待せず読んでください。痴れ者ですから。

それでは続きです。

太宰治は芥川龍之介が好きだった。そこで疑問を感じました。太宰治と言う名前に。

太宰治の本名は「津島修治」。津島姓に付いては以前「エミシの心と安東水軍」と題して書きましたが、元々は対馬の出。だから「津島」なのです。

蒙古襲来の時、津軽の安東水軍が交流があった壱岐と対馬に援軍に行った。そして島民を救出し津軽へ連れ帰った。つまり太宰治こと津島修治は対馬の血が流れている。それが芥川龍之介とどう関連するのか。

私は何事も姓名判断と言うか、文字の本来の意味が気になってしょうがない性質なのですが、普通、「太宰治」と言うペンネームを考えるものだろうかと疑問でした。

「太宰治」。何で「太宰」なのか。「治」は理解できる。本名は「修治」。「治」だけを残したと考えられる。でも何故「治」を残したのか。

太宰治はその名前の由来について詳しくは語っていないみたいです。でも芥川龍之介が好きだった。それを加味して考えれば、答えが出ると思いました。

出ました。太宰治の名前と芥川龍之介の関連が。勿論、私の解釈ですが。

「太宰」と言えば「太宰府」です。太宰治の「太宰」は「太宰府」から採ったのは間違いないでしょう。

では、何故「太宰」を姓としたのか。

一つは対馬の血が流れているからでしょう。蒙古襲来の時、蒙古と対峙した日本の拠点は太宰府でしたから。

太宰治は知っていたと思います。自分に対馬の血が流れている事を。

安東水軍に助けられた。だから青森県に生まれた。

太宰府も蒙古と戦ってくれた。その感謝と親しみを込めて「太宰」と称したのではないか。

それに「芥川龍之介」が加わります。芥川龍之介も太宰府に関連がある。

「芥川龍之介」。本名です。名前を直訳すると「ゴミだらけの川に住む龍を助ける」となるでしょうか。かなり悪い名前です。

でも本来なら「新原」姓だったのです。父親が「新原」でしたから。

しかし、父親が幼少時に亡くなった。妹も亡くなった。母親は精神に異常をきたした。それで母の兄の養子になり、「芥川」姓を名乗った。

この「新原」姓ですが福岡県が発祥。つまり太宰府です。この事、芥川龍之介が大好きな太宰治は知っていたのではないでしょうか。芥川龍之介が大好きだから、太宰を名乗ったのではないでしょうか。

そして「治」。「修治」の本名から「治」だけを残した。それは何故か。

「治」は「水」と「台」です。元々は「川の氾濫を台に乗って監視する」との意味です。それが「川を治める」意味合いから発展して、今の「支配する」的な意味となった。


そこから考えると「太宰治」は「太宰府の川を監視する」と訳せる。

「芥川龍之介」の血筋は太宰府の出。そして「芥川」。つまり「太宰治」は芥川龍之介が好き過ぎて、「芥川龍之介を監視する、見続ける」との意味合いから「太宰治」を名乗ったのではないか(少々苦しいけど)。

こんな事を考えるのは私位だと思いますが、好きだからこそ「太宰治」の名前に辿り着いたと考えます。

勿論、断言はしません。名前に左右される人生を送っている私故の考えですから。


続く。





コメント (8)
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