諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

三島由紀夫は瀬織津姫を演じたてのではあるまいか。その1

2019年09月26日 14時31分33秒 | 瀬織津姫
三島由紀夫。天才です。

私が釈迦力になっても並ぶ事ができない男。男と女の心を持つ人間。正しくニュータイプ。究極の人間。もっとも神に近い人間。

女性ホルモン、男性ホルモンを全開にして人間の本質を抉る男。勝てっこない。

恐ろしい。凡人の私では魅入られてします。そして何時の間にか盾の会に入れられて、彼と一緒に切腹の最後を遂げるのではないか。それを納得してしまうのではないか。

本当に恐ろしい。私は彼を避けるべきだ。三島由紀夫の写真を見ての最初のインスピレーションは彼に対する畏怖。本当に恐怖を感じる。

彼のギョロ目で威圧されると、細目の私では太刀打ち出来ない。私の屁理屈は全部彼に論破されそう。

私以上に屈折している人間。否、違う。屈折しているのではない。拡大鏡で人生を見てしまうのだ。そんな人間に勝てる訳が無い。

三島由紀夫には適わない。私は間違いなく負ける。彼にはそんなインスピレーションを感じる。だから私は彼には近付きたくない。彼の小説が怖くて読めないのもその為だ。

私は麻原彰晃など怖くない。幾らでも論破してやる。空海だって何するものぞ。その私が怖さを感じる三島由紀夫。一応、私と同じ家系です。

家系を遡ると永井直勝に辿り着く。直勝は文武両道の男。強いし頭が良い。博識。だから家康の警護をしていた。秘書をしていた。42歳で徳川幕府の書院番頭もしていた。

細川幽斎から室町時代からの古式礼儀、故実を学び家康にレポートを提出している。読書も好きだった模様。

だからなのかもしれない。私が読書が好きなのは。

更に永井荷風、高見順、狂言師の野村萬斎、そして三島由紀夫が出ている。これが家系、もしかしたら血と言うものなのか。

三島由紀夫。本名・平岡公威(ひらおかきみたけ)。何故、三島由紀夫を名乗る様になったのか。

三島の町で富士山を見た。雪を被る富士山が美しかった。だから三島由紀夫としたそうです。

うーん、本当にそうなのか。私的には疑問に感じる。もっと深い意味があったのではないか。自分の名前をそんな感じで簡単に付けるものなのか。

姓名判断で世の中を考える私は納得出来ない。何かしら本意が隠されている気がする。

「三島」と言うと私的には「三島溝咋姫」をイメージします。そして「富士山の雪」であるなら、富士山に鎮座する「木花咲耶姫」となります。

忘れてはなりません。三島由紀夫は女性の心も持っているのです。自分を三島溝咋姫と木花咲耶姫に照らし合わせて考えていた。だから三島由紀夫を名乗ったのではないか。

女々しいながらも男の心しかない私には発想出来ない。

更に永井直勝は熊野神社の宮司の家系でもある。三島由紀夫も神道に精通していたのではないか。

女性の心と神道。だからこそ「三島由紀夫」を名乗ったのではないのか。


つづく。




コメント (2)
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