諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

西会津・大山祇神社への参拝。その2

2019年09月19日 15時10分57秒 | 神道
続きます。

鳥追観音の境内は樹木も手入れされていて良い雰囲気。毎日、シッカリと掃除し管理されているのだろうなぁー。植木屋へも随分と金を払っているのだろうなぁー。儲かっているみたいだ。

最近、掃除もままならない神社仏閣が多い。特に福島県いわき市では。

住職や宮司が常駐していない神社仏閣は荒れ放題となっている。多分、除染作業で福島第一原発周辺に人員が動因されているのだろう。母方の従兄も働いているそうだし。

私より10歳年上だが、中々体力的にキツイだろうなぁー。

でも、除染作業をしてもそれ程効果があるとは思えない。でも、やらねばならない。従兄の身体も心配。被爆は避けられないだろうけど、早く終わればいいな。難しいだろうけど。

鳥追観音のお寺に入る。土足で入って良いみたいだが、私はKEENのサンダルを脱いで裸足で参拝する。

お寺では若い女性に、若いお坊さんがにこらにこら嬉しそうな顔をしてお寺の説明をしている。

「うーん、こんな田舎に若い女性が自分のお寺に参拝に来る。これは嬉しいよね。お坊さんも幸せそうだ。その幸せを私にも少し分けてくださいよ」と、少々嫉妬しながらお寺の中を見渡す。

女性たちが白い腹巻をしている様な180cm程度の木片に有り難そうに触っている。なんだろ。私も触ってナデナデしてみよう。

木片をナデナデしている女性の後ろに立つ。二人の女性がナデナデし続けている。そのうち私に気が付き、「すいません」と一言言って退いて私が触る番に。

「これ、一体何なのだろう、多分、これに触るとポックリと死ねるのではないか。ここはポックリ寺なのだから」と思いながら触る。「やはり長引いて苦しみながら死ぬより、ポックリ死んだ方が人間は尊厳を保てる。その方が絶対幸せだ」と思いながら。

さて、この木片ですが、何と金剛力士像でありました。私はただの木片としか思えなかったけど。

写真で確認したのですが、何故か首が無くなっている。何でだ。首なし地蔵の意味合いがあるのか。これも受代苦の一種なのだろうか。

文化財らしいけど、触られ撒くって木片状態に成ってしまったのか。ちょっと金剛力士像が可哀想。腹巻はこれ以上木像を劣化させない為なのだろうけど、これはしょうがないな。

それと私は知らなかったけど、観音堂の柱の一つは福縁結び抱き付き柱だったみたい。うーん、抱きついてくれば良かった。だから若い女性の参拝客が多かったのか。、なるほど。これは売りになるな。

それと左甚五郎作の「隠れ三猿」がお寺の装飾として彫られているとか。それも確認して来なかった。失敗した。見たかった。

余りにも暑くてそこまで気が回らなかった。もっと涼しい時期に来てまた見てみよう。福縁抱き付き柱にも抱きついて来よう。また来年、5月頃に来て見よう。

そして次はいよいよ大山祇神社へ。


つづく。













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西会津・大山祇神社への参拝。その1

2019年09月19日 01時23分18秒 | 神道
今年の正月、私の家が所有する山林を見てきました。

っとは言っても番地がある訳ではない。グーグルマップで調べたら、射撃場入り口になっている。何でだ。また誰かに土地を取られたのか。

実際はその射撃場入り口の反対側の山林が、私の家の所有地みたいです。

でもねぇー、2500坪と聞いていたのですが、実際は2200坪だったのですよ。やっぱり誰かに取られたのか。

不安になって、いわき市の法務局まで言って調べたのですが、2500坪から約2800坪に増えた。そして2200坪に減った。その様に記載されている。これはどう言う事なのか。

大変不安になり、法務局の係員に聞いたら「それはあんまり深く考えなくて良いですよ」と。

何を言っているんだ。考えるよ、減ったんだから。

そしたら「昔の話ですから、色々と間違いもあるのですよ」と係員。

実際は測量のミスで本来の面積は2200坪だった、それだけの話だったみたいです。多少、損した感じはしていますが。

それは兎も角、その土地の住所はいわき市北好間字下屋敷。何と閼伽井嶽常福寺への参道に面していた。多分、1500年以上前から参道だった様だ。そしてその参道には大きな石碑の大山祇神社が鎮座していた。

これは多分、閼伽井嶽は元々は大山祇神が祀られていた。しかし、仏教により大山祇神が調伏された。故に石碑の大山祇神社が中腹まで落とされたのだと推測します。

私としましては閼伽井嶽は大山祇神の山であると確固たる意志で認識してます。そして大山祇神は別名・和多志神。私が因縁を感じる鬼渡神の大元の神と考えられる。

その大山祇神の山に私の家の山林がある。つまり大山祇神は地主神である。

その大山祇神の福島県での総本山的存在なのが、西会津の大山祇神社。参拝に行かなくては。

そう思って西会津の道の駅「道の駅 にしあいづ」で車中泊しましたが、呆れるくらい暑かった。東京よりも暑い。宮崎県よりも暑いかも知れん。こんなに暑いとは・・・・。

裏磐梯や天栄村には別荘が多いのに、何で西会津には無いのか。西会津を終の住まいにしても良いかなと思っていたのですが、理由が分かりました。この暑さです。

別荘は避暑で訪れる訳です。暑いから涼しい場所に行くのです。夏、こんなに暑くなる西会津に誰が行くのか。謎が分かりました。

考えてみたら西会津は5月でも寒い。そして10月から寒くなる。それなのに8月前後は鬼のように暑い。っと言う事は、過ごし易い月は6月前後しかない。

冬は大雪。夏は酷暑。これじゃ住めないよ。西会津の終の住みか計画は頓挫だな。

そうこうしている内に追廻観音へ立ち寄る。暑いから参拝客も少ない。

ここは大草鞋を飾っている。草鞋といえば多賀城市の「あらはばき神社」を思い浮かべる。ここも本来はアラハバキ神が源流にいるのだろう。本尊は聖観音だし。

徳一法師が建立したみたいだけど、同じ徳一法師が建立した恵日寺の瀧夜叉姫伝説を鑑みると、瀬織津姫の源流の神々と神仏統合したと思える。多分、間違いないだろう。


つづく。
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