諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

妖怪・沼御前のモデルは、瀬織津姫と考えて良いと思う。【沼沢湖・沼御前神社にて】その3

2020年01月15日 21時10分18秒 | 瀬織津姫
続きです。

それでは沼御前神社へ参拝。信じられない程の急な石段を登る。

この石段、老人は登れないのではないか。それどころか犬も登れるかどうかの角度がある。私も前かがみになって登る。足を滑らしたら、下まで滑り落ちそうだ。何でこんなにも急な設計にしたのだろうか。

石段を登り終えた。正面、鳥居から80メートル程先に社がある。

暗い。木が鬱蒼と茂っているからか。午前3時前だが結構暗い。この暗さは「人間は来るな」の時間帯と言える。不味いかも知れん。

ここに来る前に、西会津の鳥追観音と大山祇神社に参拝した。それが不味かったのかも知れん。慄きながら丁重に参拝する。

この神社は長くは居られないタイプの神社であるのは間違いない。否、少なくても私の家系の者は拒まれるのかも。神を殺した家柄だし。

また石段に戻る。下を見る。怖くて降りられない。余りにも急過ぎる。これ、本当に危険だ。注意しなければ、簡単に滑り落ちて死んでしまうぞ。

否、注意しても降りられない。降りるのであれば地にはって、後ろ向きに脚から下りるしかない。それでも上手く降りれるかどうか。仕方ない、裏参道を探そう。

社に戻り、裏道を行く。結構遠回りして下道に着いた。怖かった。ここはよっぽどの霊場。私的には禁足地に近い感じを受ける。

何故、崖をよじ登る様な急な石段を造らねばならなかったのか。

それは社の正面に沼沢湖があるから。湖から一直線に石段を登り、社に行き着く様に設計されているのだろう。

つまり、沼沢湖の大蛇である沼御前が、湖と社に行き来し易い様に設計されている様に想われる。

沼沢湖と沼御前神社は対の関係。人間よりも大蛇である沼御前を考えて、神社が設計されているのだと想える。それは神を配慮した当然の考え。それで良いのだと思う。

沼御前神社建立に付いては、検索したが出てこなかった。祭神は沼御前だけの様です。

沼御前は最新の「ゲゲゲの鬼太郎」にも出て来ます。ウキペディアによると、髪の長さは6メートルの若い美女に化ける事ができる大蛇となっています。

伝承も幾つか残ってます。

鎌倉時代、時の領主・佐原十郎義連が沼沢湖の大蛇を退治する為に、12人、若しくは50~60人の兵を率いて船に乗り湖へ漕ぎ出した。

中心部で佐原らは大蛇を大声で罵る。そしたら雲ってきて雷鳴が轟き大入道が現れた。

佐原らは、この大入道を大蛇の化身と思い立ち向かうが、荒波の為に船が揺れ、湖の中に落ちる。湖畔で待機していた兵らは見ていただけで、どうする事も出来ず。

暫くしてもがき苦しむ大蛇が現れた。大蛇の頭には佐原が跨り刀を振るっている。大蛇の腹が引き裂き出て来た模様。残りの兵達も佐原に続けと刀を持って大蛇の腹から出て来た。

本来ならば大蛇の体内は猛毒に溢れていて佐原らも死ぬ筈だったが、佐原の兜に縫い付けられていて観音菩薩が毒から佐原達を守り、大蛇の腹から脱出出来た。

最後には大蛇の頭が佐原に切り落とされて見事に退治。その大蛇の頭は土の中に埋めた。

しかし、大蛇の怨念は凄まじく、何故か土の中から機を織る様な音が鳴り響いていた。

村人は祟りを恐れて、大蛇である沼御前を祀った沼御前神社を建立した。


続く。













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