諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

神社にとって桜とは・・・・。【いわき市小名浜・住吉神社にて】その2

2020年01月23日 16時51分43秒 | 神道
続きです。

この住吉神社に佇んで感じたのですが、私の友人が宮司を勤める神社と雰囲気が似ている。当然と言えば当然かも知れません。友人の神社も住吉三神を祀っていますから。

それとどうも住吉神社も天照大神を摂社に祀っているみたいです。かなり祭神が重なっている。同じ系統の神社なのかも。

住吉神社には裏山があり、ポッツン、ポッツンと摂社が鎮座しているみたいです。参拝しようかとは思いましたが、正月なので本殿だけの参拝にしときました。今度来た時、参拝して見ましょうかね。

さて、最後、去年と同じように御神籤を引こう。

御神籤の種類は子供御神50円、恋愛御神籤50円、そして飛び出す絵本的に花が飛び出す華御神籤が100円です。

去年は50円玉が無く花御神籤を引きましたが、今年も何故か50円玉が無い。いい歳して子供御神籤は考えられんし。恋愛御神籤もどうもね。やはり華御神籤を引きました。

去年は金木犀が出て来て大吉だったが今年はどうか。結果、桜が出て来て吉でした。

御神籤には桜に付いての記述と桜の句が。

見渡せは 春日の野辺に霞立ち 咲きにほへるは桜花かも    万葉集より

「桜 古き時代には、桜は神の化身と考えられており、そこに神が宿り、四方八方の田畑に飛び移り、稲を豊に実らせると思われていました。人々は桜の花びらが散る様を、"穀物の神の種まき"と称し、尊んだと言われています」。っと書かれていました。だから神社には桜の木が植えられているケースが多いのでしょう。

でも、鬼渡神で神道を考える私は、桜に付いて負の部分もあると思います。

上記の文で「桜は神の化身」と書かれていましたが、桜の花びらに置いては神の眷属が宿ると考えます。

そして桜の花弁ほどの大勢の眷属を持つ神は、疱瘡神である大歳神。桜は大歳神の花。

桜の花が咲くが如く疱瘡が発生し、桜の花弁が散るが如く疱瘡が撒き散らされる。つまり神への不敬を許さぬ印として、桜の木が植えられている部分もあると考えています。

因みに桜がキーワードになっている神社の多くは、影に大歳神様を祀っています。

例えば七五三で有名な神社。七五三は子供がその歳まで生きれた事に対する感謝の儀式です。子供の命を奪うのは疱瘡。だから子供が疱瘡にかからないように、疱瘡神である大歳神に礼を述べる。七五三ではその事を頭に入れて参拝した方が良いと思います。

因みに七五三と言えば千歳飴です。千歳飴の「歳」の字は、大歳神様を示しているのではないでしょうか。

そして大歳神様は境界線の神でもある。古くからの境界線は川。大歳神様は二位一体の神。妻とされる天知迦流美豆姫は天の川の神。つまり水神。

水神は土に弱い。この話は以前しましたが、陰陽五行の考えで川を濁す土に弱いと考えられた。

土の香りは甘いとされる。それは桂泉信仰からも分かりますが、水辺を好む桂の木は綿飴と同じ甘い香りを発する。古来の井戸は桂の木股で泉を囲んだもの。つまり土である甘さで水を調伏したのが井戸。

そこから考えると千歳飴は、疱瘡を防ぐアイテムとして考えられたのではないでしょうか。

話は変な方向に行ってしまいましたが、神社にとって桜とは正と負を表している。桜は五穀豊穣の象徴でもあるが、桜の尊さと同じように神社を敬わなければ禍が起きる。それを人々に知らせる為の意味も有るのではないか。

私は桜の木に対し、どうしてもその様に感じてしまいます。尊さとと恐ろしさ、美しさと畏怖、それが神。だからこそ神社に桜の木を植えるのだと思います。


ではでは。







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