諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

大関・朝乃山を許したら、角界の存在意義は無いと思う。引退は当然だ。

2021年06月11日 09時55分05秒 | ニュース
この記事、以前書いていたのですが、朝乃山が引退届けを出したみたいなので、急遽手直しして出します。


朝乃山。

最近、相撲は全然見ないので知りませんでしたが、大関なんですってねぇー。へぇー。

その大関が相撲協会が定めるコロナ禍でのガイドラインに違反したと言う事で、6月中に処分が下るとの話です。

簡単に言うと、協会が外出禁止令をだしたのにキャバクラで遊んでいた。そのことで話を聞いたら事実無根と返答。それが大嘘だったっと言う事です。

これは不味いですね。

私は出歩くなと言われてたのにキャバクラに遊びに行ったと言うのであれば、厳重注意で暫く謹慎させる処分で終わると思います。人間、罪を犯すもんですから。

まっ、死者が出るコロナ禍において繁華街で出歩くのは、大変不謹慎だとは思います。

コロナで亡くなった力士もいる。その者の命も考えない心無い人物だと思います。この朝乃山と言う奴は。

相撲組織で決めたルールですから厳守すべき。守れなかったのならペナルティは当然。謹慎を言い渡されても仕方が無いです。

でも、それ以上に問題なのは事実無根と大嘘を付いた事。これは神事である大相撲を否定する行為。もう土俵に立つ資格は無い。引退以外道は無い。

嘘を付く。それを許したら八百長相撲も許される。だからもう土俵には上げられない。私はそう考えます。

以前にも書きましたが、蔵前国技館の土俵の上の吊り屋根には、審判の神であるマガツヒ神とナオヒ神を祀っています。

その神に対して嘘を付いた者を土俵に上げたら、相撲はもう神事では無い。プロレス同様ショーです。神社での土俵入りの奉納なんてする資格は無くなる。絶対、許してはいけないと思います。

記紀を読めば分ると思いますが、男の罪は約束を破る事。女の罪は不倫をする事です。

嘘を付く。約束を破る事は人生において必要な時もありますが、あんなに堂々と事実無根と言い放ってしまってはもう無理。

清く引退。それしか道はないです。

朝乃山について寛大な処分を求める署名が1万を超えているらしいですが、大相撲の看板を掲げるなら、泣いて馬謖を斬るで厳罰を言い渡すべき。

もっとも、八百長を隠蔽しているのであれば、相撲協会にその資格はありませんが・・・・。



ってな事を想っていたら朝乃山が、6月11日午前9時に引退届けを提出した見たいです。

うん、それしか方法は無い。追放される前に引退した方がよい。嘘を付いたら力士はお終い。嘘は八百長に繫がるのだから。

6月11日現在で受理はされず、親方の朝潮が引退で、朝乃山は6場所謹慎だとか。

やっぱり駄目だな、相撲協会は。


ではでは。

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禍の連鎖。自殺の連鎖。その7

2021年06月11日 09時18分35秒 | 人生
続きです。総括したいと思います。

長々と語って参りました。何故、この様な禍の連鎖、自殺の連鎖が続いたのか。

それは禍を発する者とそれを享受する者が繫がっているから。タイミング悪くこの世で知り合ったからだと思います。

この物語の元凶は私の父の兄が新聞販売店を経営した事から始まります。私が姓名判断で物事を判断していますが、ここに登場した人物は禍を振り撒く運と、それを享受する運を持つ者ばかりです。知り合ってはいけない。血の繫がりが有ってはならない人物達です。

私の父の家系も母の家系も武士です。私の家系が多くの者の命を奪った。それで恨まれている。私はそう考えております。

父の兄が新聞販売店を経営した。私の父もそれに習って新聞販売店を経営。そして仙台に移り住んだ。

其れに寄り父方の従兄は事故死。母方の従兄は大怪我。そして従妹は自殺。母方の兄弟は1億円も損をした。

最後に語った従妹の自殺ですが、その父親である伯父が豊田商事で兄弟から恨みを買った。その恨みが従妹の自殺に繫がっているのではないか。

私の家の近所に豊田商事に騙されて憤死した方がいます。自分のお金を増やし、子と孫に残そうと豊田商事で金を買った。そして騙された。

その方は悔やんで悔やんで、「俺は何て馬鹿なんだ、馬鹿なんだ」と叫びながら、自分の頭を家の柱に何度も何度も打ち付けて亡くなりました。

それほど恨んで死んで逝った。そう言う者が全国にいた。その恨みが豊田商事会長の死に繫がった。

そしてもしかしたら、その方に金を売ったのは伯父だったとしたら、伯父が一番ダメージを受ける形で、その恨みと呪いを享受したのではないのか。

人の人生はパチンコの玉の様なものです。多くのピン(人)に当たり、進路を変えて良く。

良いピンに当たればチューリップに入りフィーバーとなる。幸運を掴める。

悪いピンに当たりは悲劇のシナリオを演じ不幸な人生を辿る。死に繫がる。

私と言うピンに当たり、不幸になった者もいるだろうし、幸運になった者もいるだろう。

中にはモアハラで自分の禍をぶつけて来る者もいる。それが人生なのだと思います。良い人、悪い人関係無くです。

だったらどうしたら良いのか。それは人と接触しない事。山に独り引き篭もるしかないでしょう。

そうやって独りで生きるもの人生だと思いますね。


ではでは。




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