続きます。
ってな事言っちゃいましたが、住吉大神が子育てをしたと言う記述は記紀に載っていないのです。うーん、困った。
そうなると残るは一人。武内宿禰しか残っていない。
武内宿禰は神功皇后に付き従い三韓征伐に出で勝利した。
帰国後、神功皇后は7歳で応神天皇を出産。神功皇后と共に応神天皇を養育した。その事から高良玉垂命を名乗るのに相応しい。
でも、武内宿禰は神功皇后の軍師的存在。神功皇后や住吉大神に比べ、「高良」を名乗るのは弱いのも確か。そこが問題。
武内宿禰と朝鮮との関係は他に無いのか。
そこで気になったのが埼玉県日高市に鎮座する高麗(こま)神社です。主祭神は高麗王若光。配神に猿田彦尊と武内宿禰。やっぱり関係があるのか。
他に高麗・高来と名の付く神社が存在します。
静岡県掛川市の高麗神社。祭神は韓神。
神奈川県大磯町の高来(高麗)神社。主祭神は神皇産霊尊、瓊瓊杵尊、応神天皇、神功皇后となっています。
韓神に付いては分かりません。韓国の神と言う事なのでしょうか。
高麗王若光は高句麗が新羅・唐の連合軍に敗れ、日本に逃げて来たみたいです。それで当時としては蝦夷の国に近い関東に住まわせたのだと思います。
ここで問題なのは神奈川県大磯町の高麗神社です。応神天皇、神功皇后は兎も角、天津神の神皇霊尊を主祭神に天孫降臨の瓊瓊杵尊まで祀っている。これはどう言う事だ。やはり天津神や天皇家は朝鮮から渡って来たと言う事か。
それとも高句麗から渡って来た人達に日本の神々を信仰させ、服従させようとしたのか。逆に日本の神々を信仰し、朝廷に自分達の帰順を示したとも考えられる。
日高市の高麗神社の場合は主祭神・高麗王若光の暴走、若しくは祟りを猿田彦尊と武内宿禰で押さえ込んでいると思われる。
神社は神様に鎮座していただく場所。本来、神社に祀られる神には神、尊・命と敬う言葉遣いが使われる。
高麗王若光の場合は「王」と言う中国の臣下の名称が使われている。神として敬れているとは思えない。警戒されている感じがする。だから配神として猿田彦尊と武内宿禰で押さえ込んでいるのではないか。
神功皇后の三韓征伐と言う史実はない。事実は新羅に高句麗や日本が味方し百済は負けたのだ。そして龍神を宿したと言われる新羅の文武王を日本は恐れた。
だから日本は目には目をで龍神信仰が広まったのだが、この神功皇后の三韓征伐の話はそれに付随した話しをでっち上げたのかも知れない。
三韓を征伐した神功皇后や応神天皇が日本にいるのだから、日本は何も心配はいらないのだと。
続く。