続きです。
私の父親は私に新聞販売店の跡継ぎをして貰いたかったのは間違いないです。私を東京の新聞販売店に修行に行かせようとしていましたから。
実はチョットばかり修行に行ったのです。そして直ぐ帰ってきました。こりゃ駄目だと思って。
私の店では新聞1部に当たり月に1000円のチラシ代が入ります。3000部配っていたら月に300万円が入るのです。この300万円があるから何とか運営が出来るのです。
でも東京の店では1部当たり3000~4000円。3000部配っていたとしたら900万~1200万円です。これだけのチラシ代が入るから夕刊も配達できる。
仙台で夕刊配ったら大赤字になる。仙台には地元の有力紙があるから部数は伸びない。仙台での新聞販売業は先が見えている。
否、それだけではない。私は証券会社に勤めた時、衝撃的な物を見た。クイックだ。
クイックは昔のブラウン管ワープロ同様でカラーの画面ではない。しかし、それで株の売買注文が出来る。1日の情報が流れてくる。こんなのが家庭に普及したら、新聞の必要性は無いではないか。
まっ、今日のパソコンやスマホを見れば私の予想に狂いは無かった。
そう言いながら株の業界紙に入社したのは、クイックな情報が命の株式なので脱新聞が最初に進むと考えていたからだ。
それに私が入社した平成2年はボーナスが12カ月出ていた。それにも惹かれた。基本給10万円に対しての12カ月だとは思わなかったが。
それプラス株式上場していなかった。上場したら初値が幾らになるか分からない。昔のサンリオみたいに社員全員が億万長者になる可能性だってある。サンリオは20歳の社員でさえ億の資産を得たと言う。私もそうなるかも知れない。
それなのにだ。それなのに私が入社した株の業界紙は新社屋の建設を予定していた。馬鹿だと思った。私は既に新聞の時代は終わると確信していたのに、馬鹿社長は建設費だけで56億円の社屋を建てた。
私が入社した時、ABC発行部数は16万部だった。旧社屋ではどんなに頑張っても1日20万部しか刷れない。これはマズイと思い建設を進めていたのだ。
そして2年後、発行部数は5万部程度となっていた。私が入社して2年で11万部も減った。それなのに新社屋は完成間近。12か月のボーナスが出ると思っていたのに、新社屋を建てるからとの理由で一律10万円に落とされた。騙された。
私が入社した時、会社の資産は200億円と経営陣は語っていた。事実、旧社屋は1等地に約80坪の面積がある。坪1億円で東京証券取引所が買いたいと言ってきたが、馬鹿社長は坪1億5000万円じゃないと売らないと寝言を語って断った。
バブル崩壊が鮮明になっているのに欲を張ってしまった。株の次は必ず不動産が下がる。こんな事も分からない馬鹿社長なのだ。
私は2年で辞めたが、その数年後に会社更生法適用。200億円の資産は全てパー。
会社は買い取られたが、パート含めて230名の社員は解雇の嵐。そして新聞はネットだけの配信となった。私の予想通りになった。
続く。