諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

岡田茂吉の伊豆能女観を考察する。その2

2022年06月25日 15時02分36秒 | 神道
何時もながら前置きが長く成りました。続きます。

さて、伊豆能女を信仰するその新興宗教団体の名は、「世界救世教いずのめ教団」です。「世界救世」から「メシヤ教」と称していた時も有ったみたいです。

メシヤと言うとキリスト教ですよね。私、キリスト教の罪と言うか歴史を知っているのでメシヤと言う言葉に拒否反応を受けますが、キリスト教とは関係ないみたいです。教団の内情は知りませんので、はっきりとは分かりませんが。

因みに私の伯母に「生長の家」を信仰する者がおりました。夫を若い時に亡くし、3人の子供を女手一つで育てた。大変立派な人でした。

伯母は「生長の家」の教えが無ければ生きて行けなかったと申してました。そう言う意味では新興宗教も意味はあると思ってます。

でも、「生長の家」は敗戦時にキリスト教を取り入れた。ユダヤ教、イスラム教、仏教、神道の教えも取り入れている。これらの宗教は相反する部分が多分にある。その点が私には分からない。

ただ、過去の宗教戦争の様に異教徒や宗派で争わないのは良いと思うが、私は矛盾している部分は受け入れられない。どうしても真実を追求したい。そう考えております。

話を「いずのめ教団」に戻します。

教祖はお題に上げている岡田茂吉です。岡田茂吉の伊豆能女に対する考えは何なのか。何故、教団名に伊豆能女を掲げたのか。

日本にはかつて本地垂迹の考えがありました。日本の神々の本地はインドの仏だった。つまり神仏習合です。

そうなると日本の神々はインド出身となります。そして天皇もインド出身。それは間違っている。だから神仏習合の時代は終わりを告げたのです。

もう、ぶっちゃけて言います。日本の朝廷は仏教の教えで国民を従順に服従させたい。円満に統治したい。その目的から国教として仏教を導入したと考えています。

神道は本来の古代日本人の宗教??。朝廷側は朝鮮から渡って来で日本を征服した勢力。敵の神を信仰する訳にはいかない。

また、神道の神々に民衆の信仰が集まれば、自分たちの立場も危うくなる可能性もある。神道は危険だ。

しかし、日本国民は仏教が理解出来ない。布教が困難。それで神仏を集合させたのです。「天照大神は本当は大日如来なんだよ」とか言って。

それなら国民も理解できる。「何だ、神社の神様とお寺の仏様は同じなのか」となる。それで仏教が全国に広まった。

戦国時代に来日したイエズス会も同様な戦術??を取ります。「大日如来はデウス様なんだよ」とした。それでキリスト教も広がった。

私、あくまでも真実を追求したい男なのです。折角この世に生まれたのですから、真実を知りたいのです。一度でも大っぴらに嘘を付いた宗教は信じられない。騙されたくない。

私の心の奥底には、そんな気持ちが根を張ってあります。

それでは岡田茂吉の考えはどうなのか。

それは「仏教の観世音菩薩は本当は伊豆能女だった。日本に住んでいた伊豆能女がインドに渡り、観世音菩薩として日本に戻って来た」と言うものでした。

かぁーーっ、そう来るのかぁー。


続く。


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