続きです。
本社は新聞販売店主の事など奴隷としか思っていません。そして担当員は新聞販売店主を洗脳する教育を受けていると私は考えています。
担当員の本社から出る交際費は月100万円です。今は分かりませんが当時は100万円でした。その100万円で豪華ホテルに泊まり飲食をするのです。
私の家では担当員が来た場合、出来るだけ販売ノルマを上げて貰いたくないので5000円の鰻重を昼飯に出していましたが、どの販売店も無理をして担当員に対し殿様対応しています。それで調子に乗ってしまう馬鹿担当員も多いです。
さて、私は新聞販売業に見切りを付けました。新聞を増やして店を大きくしても販売区域を狭められる。新聞を増やせば増やすほど赤字になる。そして押し紙を大量に捨てる罪悪感。そして空しさ、やるせなさ。
押し紙はタダではないのです。売れてもいないのに販売店が買わせられるのです。こんな理不尽な事ありますか。
「新聞はインテリが書いてヤクザが配達する」と言われていますが、私から言わせると本社なんてのは日本の隣国、或いはとっかの共産主義国、社会主義国だと思いますね。
まっ、そう言う事で私は後を継がないと決心し東京に出た。
新聞販売店は常時人手不足。私が居なければ商売も厳しい。それで父も決意しました。新聞販売店の廃業を。
担当員が来店。来月、再来月のノルマを言い渡される。出来ますかと聞かれる。分かりましたと答える。
「では3か月後のノルマの数字は?」と聞く担当員。
「それはこれです」と言いながら父は廃業届を担当員に提出しました。
これには担当員も驚いたそうです。父は当時55歳。まだまだやれる歳です。
でも、私の父は仕事なんて殆どしていません。配達は多少していましたが、日中はパチンコ屋に入り浸り。私がいなくなって商売もままならなかったのでしょう。
本人は辞めたくなかったはずです。新聞販売店主、新聞販売店経営と言う肩書を捨てたくは無かったと思います。私の犠牲の上で商売が成り立っていたとは思ってもいなかったでしょうし。
続く。