諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

岡田茂吉の伊豆能女観を考察する。その5

2022年07月01日 13時43分30秒 | 神道
続きます。

さて、インドに渡って観世音菩薩となった伊豆能女はその後どうなったか。

岡田茂吉の霊示によると金龍に姿を変えて日本に戻ってきた。そして琵琶湖の中に住まわれているそうです。

ここで神道系迷探偵を気取る私は疑問を感じます。だってインドには龍はいないのですから。

以前にも何度か書いていますが、龍は竜の装飾です。そして竜は冠を被った蛇の意味です。金龍では意味が通じないのです。

「冠を被った金色の蛇の装飾になって日本に戻って来た」。岡田茂吉はそう言っている事になります。岡田茂吉は龍に付いて知らないのではないか。

竜はインドのコブラです。三蔵法師がインドから中国に仏教を伝えた。インドにはコブラ信仰がある。でも中国ではコブラはいない(探せばいいるかも)。

だから竜の文字でコブラ示した。そのコブラを今の竜・龍にデザインしたのが中国の王符となります。

インドではコブラを神格化している。それはナーガ。上半身が人間で下半身がコブラ。或いは7つの首を持つコブラ。それがナーガです。

そしてナーガの妻と言えますが、ナーガの女性版がナーギ。

もし伊豆能女が金龍の姿となって戻ってきたと言うなら、「金色のナーギ」となって戻って来たと言わないとおかしい。その点から私は岡田茂吉の霊示は全面的に信じられません。

そう言う事で私は私の道を行きます。こんなブログを書いて「いずのめ教団」に怒られそうですけど。

まっ、それには目を瞑って伊豆能女が日本の最高神とする岡田茂吉の霊示に付いては、私、或る程度説明が出来ます。それは伊豆能女を祀る神社を交えてタイトルを変えて書きたいと思います。

あっ、それと金龍となって琵琶湖にいる伊豆能女の話ですが、その話を信じると伊豆能女は弁才天と言う事になりそうです。琵琶湖の竹生島は弁才天信仰発祥の地ですから。

弁才天は本来、呪いと戦いの神です。だから初期の弁才天像は複数本の腕に武器を持っている。しかし、江戸時代からインドのサラスバティーを真似て、半裸で琵琶??を持った女性像に変えられた。財運の神として信仰されるようになった。

だから岡田茂吉は伊豆能女が金龍の姿となって、琵琶湖に住んでいると霊示??したのでしょうか。

その点も私には言い分があります。浅井姫命の伝説です。

浅井姫命は浅井岳に座していた。伊吹山は浅井姫命の伯父である多多美彦命が座していた。それが一日にして伊吹山より浅井岳が大きくなった。それに怒った多多美彦命は浅井姫命の首を刎ねた。その浅井姫命の頭部が竹生島となったとする伝説です。

前にも書いたかも知れませんが、そこから色々考えられるのですよ。

実は岡田茂吉の霊示と被る部分があります。違う部分もある。その点も何れタイトルを変えて書きたいと思います。


ではでは。




コメント
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