安倍元総理が暗殺されて心が引っ張られていです。
私、HSPですからね。いくらでも思いが浮かんでくるのです。精神崩壊寸前まで行きそうになっています。
そこで心を落ち着け冷静になる為に、宗教と言うものを考えてみたいです。っと言いながら仏教もキリスト教も神道も極めた訳ではない。だから頭をシンプルにして単純に考えます。
今もいるのかは知りませんが、昔、AKB48と言う女の子のアイドルグループがおりました。何かファンが投票してメンバーの人気ランキングを決める。その投票権はCDとかの商品に同封されている。上手い商売だと思いましたね。
私、そう言うの大嫌いです。私が通っていた中・高・大のプロテスタント系の学校ではテストの成績ランキングが廊下に貼り出されていましたので。
私、それでクラスでビリ。学年でビリから2番目になった事があります。こんなことされると心が腐ります。ヤル気を出さる為に馬鹿教師はこんな真似したのでしょうけど、ビリになった生徒は絶望するだけ。
こんなのかキリスト教なのか。プロテスタントなのか。イエス・キリストなのか。ビリになった者の気持ちもイエスは分らんのか。
出てこい、馬鹿イエス。お前「右の頬を打たれたら、左の頬を出せ」とか言ったが、お前に目潰しをくれてやる。お前はそれだけの事を私にしたのだぞ。っと当時の私は想ったものです。
私は人は平等であると考えます。だから天皇家であったも様付けなんかしません。軽蔑している秋篠宮家になんて馬鹿を付けて呼び捨てです。
天皇家も人間。過去に大悪人も出ている。天皇家同士で殺し合いもしている。馬鹿な一族。そんな奴らを何で様付けで呼ばなければならんのだ。朝鮮から渡って来た侵略者のくせに。
そう私は思っています。因みに私も天皇系の家系ですが。
話をAKB48に戻します。人気投票で選ばれた上位7名をAKBのファン達は「神7」と呼んでいました。これもまた宗教です。
人気のある者、才能のある者、知識のある者、強い者、個性のある者、そしてカリスマ性がある者を神として信仰する。この感覚、霊感商法と同じ。否、全ての宗教の根本にこの感覚があると言えます。
AKB48の神7達もファンから信仰された。信仰心から神7のCDや写真集等々が飛ぶように売れた。しかし、この神達の寿命は短い。更なる若い女神が現れる。神の地位を奪われる。神でいられなくなる。それでAKB48を脱退する。
神だったのに神で無くなる。それって元から神では無いと言う事です。だから天皇も神では無い。現人神と呼ばれたが、そんなのAKB48の神7と同類です。全然大したことありません。ただの人間に過ぎませんから。
私、イエス・キリストは医療神・アスクレピオス、バール、アドニスらをモデルに創造された神だと信じていますが、仏教の空海や親鸞、法然上人らもカリスマ性があった人間だと確信しています。
通常の人よりは霊感は強かったでしょう。でも、霊感は誰もが多少なりとも持っています。私でさえ幽霊も見ているし心霊現象も体験しています。
沼でヘラブナ釣りをしている人に近付いたら急に鳥肌が立った。血液が炭酸になった感じ。
「これは不味い」と思い逃げ帰ったら、そのヘラブナ釣り師はそのあと直ぐに亡くなっていた。ヘラ竿を流してそれを取ろうとして沼で溺れた。
沼の水を抜いてみたら陸から5メートルの場所に遺体が沈んでいた。近付いていたらそのヘラブナ釣り師の負を受けたのは私だったかも知れない。
運の悪い鬱病の私でさえ多少なりとも霊感はあるのです。霊感は誰だってある。こんなの全然大した事ありません。霊感は人間が生きて行く上で必要。上下はありますが人間には違いがありません。
私、ちょっとだけ仏教に不信感を持っています。よくお寺に行くと先代住職らの銅像が立っている。お金があるからそんなものを造ったのでしょうが、先代住職らを神格化している。この感覚が霊感商法の根本にあると思うのです。
阿弥陀如来や観世音菩薩を信仰するのは問題ないですが、カリスマ僧侶を神仏として信仰するのは間違っている。
空海は今でも生きているとして僧侶達は未だに上げ善据え膳しているそうですが、嘘つけ真言宗と言いたいです。カリスマ僧侶であっても空海は人間。人を欺いてまで空海を神格化するのは間違っている。
まっ、宗教も商売と言えますが、それはやり過ぎ。それって霊感商法とどう違うのか。そんな事するから悪質な霊感商法が発生するのだ。そう言う事するから仏教に対して不信感が生まれるのです。私だけかも知れませんが。
人が人を信仰する気持ちは分かります。古代、人は出来の悪い者、身体障害者、気に食わない者を家族間や仲間で殺していた。人の15~20%がそんな殺され方をしていた。その恐怖の遺伝子が人の心に残っている。
私は親に虐待されていた。時代が時代なら親に殺されるべき人間だったと言えます。
殺されない為にはどうするか。そりゃ神に縋るしかない。私が神道のブログを書いているのも、その遺伝子が書かせいている。それは間違いないです。
更に殺されない為にはどうするか。それは成功している人になる。成功している人を真似る。そんな思いが人を信仰する芽となる。
そこを突くのが宗教です。特に歴史の短い新興宗教は宗教が確立していない。宗教としてのノウハウが無い。
古くからの仏教は罰が当たった。武力と権力を持ったが為に織田信長に殺された。殺されたくない。幸せになりたいと思い仏教を信仰したのに、魔王と称する織田信長に殺された。本末転倒になった。
新興宗教やカルト教団はその罰がまだ当たっていない。否、オウム真理教は当たったか。
それは置いといて、新興宗教の幹部達は罰が当たった経験が無い。だから神を語る事で得られる権力に酔い、権力を行使し信者から金を奪い取る。罪悪感も無しに。そして最終的には教祖を目指す。神を目指す。
どんな宗教にも権力者はいる。キリスト教や仏教の権力者にも悪魔の様なヤツがいる。勿論、善人もいる。しかし、善であっても悪であっても彼らは人間には変わりはない。
宗教権力者の善悪を知るには、その宗教の知識や歴史を知る必要がある。知識が無ければ真実が判断できない。妄信するしかない。それで霊感商法が生まれる。
先ずは知識を得る事。知識が組み合わされなけば真実が見えてこない。真実かどうか判断できない。
知識があればその者の虚言に騙される事は無い。
知識があれば自分の心が定まる。心が定まればその者の話が理解できるし、虚言か否かも判断できる。自分の心に問いかける事が出来る。
先ずは知識。知識で心を定め、自分の心に問いかけて判断する。
それが宗教を信じる第一歩。信仰の第一歩だと私は思いますね。
ではでは。