子供の頃からあがり症だった。心臓がドキドキと成る。
私は余りにも人が良さそうな顔をしている。悪い意味でだ。人が良い顔の人間には、禍がやって来る。人に舐められるから。
しかし、私は理論武装している。口では勝てる。そうなると相手は激高する。「こんな弱そうなヤツには負けられない」となる。そして喧嘩となる。
私の家は新聞販売業。従業員は悪ばかり。悪に舐められたら商売は続けられない。それを良く見ていた。経験していた。だから喧嘩となると相手を殺すつもりで殴った。そんなことなどしたくはなかったが、そうしなければ生きていけない時代だった。
そして現在、喧嘩で防御する時代ではない。そうなると戦いを避けるしかない。私が人を避けるのはその為だ。何も無いのが一番幸せだ。
さて、私の親の負の遺産に問題が発生した。直すには200万円以上かかるかも知れない。このままでは生活が出来ない。
幸い両親が移ったアパートがそのままになっているので、半分はそちらに身を寄せれば済むが、なんか嫌なのだ。親が私の周りにまだいるみたいで。
亡くなったら縁が切れると思っていたが、想い出が残っている。その想い出が私を狂わしている。親の正と負が交錯する。親を怨む自分にも嫌悪している。無理みたいだが親を早く忘れたい。
今の私の鬱の状態では、仕事もままならないだろう。親の想い出の残る街にいたくないのだ。私を誰も知らない土地に行きたい。親の想い出がある家にいるのは辛い。
亡くなっても認知症になっても私は親が怖い。私を殺そうとした親が怖い。何をしても非難される。一度も褒められたことが無いから、何が親にとって正解なのか分からない。
殴り蹴られ踏まれ、飛び蹴りまでされた。包丁を持って襲われもした。亡くなっても恨みが9割以上占めている。
私が死んだら地獄にいる父親を探し出し、徹底的に殴りたいほど憎い。地獄の釜に放り込みたいほど憎い。
今の家にいるとどうしても親を思い出してしまうのだ。だから鬱が続いているのだろう。
カウンセラーには「早く家を出た方が良い。命の危険性があるよ」と10年前から言われていた。親がいなくなれば治ると思っていたが、親との想い出が残っていては鬱は良くならない。
悔やまれるのは東京から仙台に戻ったことだ。親のストレス解消の為に戻ったようなものだ。親は私を虐めて平常心を保てる。どちらもかたわ者なのだ。
40年前、父方の祖母に「父は精神異常者でかたわ者だ」と語った。祖母は顔色を変えた。知っていたのだ。悟っていたのだ。
父の境遇は理解している。精神異常者になるのも仕方が無いと言える。
だったら家族を持つべきではない。精神異常者は人と接してはいけない。
あっー、支離滅裂で全然関係ないことを書いてしまっている。話を戻す。
今の問題を解決して、早く別の場所に行かないと精神が保てない。そして私の死に場所を確保しなければ。
日本の法律が私の永遠の安らぎを困難にしている。死ぬ為の準備も一苦労だ。
兄弟は信用できない。信用できる人間を探し出して頼むしかない。それもまた一苦労だ。
生きるのも死ぬのも一苦労だ。私は私の望む場所で眠りたいだけなのに。
ではでは。