諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

古くからの重い瓦を屋根から外していたのなら、能登半島大地震で亡くなる人も大幅に減った筈だ。。

2024年01月09日 13時58分05秒 | 東日本大震災
正月3日、友人の神社に初詣に行ってきた。友人の神社、何時の間にかリノベーションが完了していました。

それで今回の能登半島地震の話をして神社の施設を見る。黒い瓦が乗っている。

私は言いました。「よく東日本大震災の時、そんな重い瓦を乗せていてよく建物が持ったなぁー」と。

東日本大震災の時、重い瓦を乗せた古い家は多く潰れていました。神社だからしっかりとして造りなのでしょうが、耐震設計している訳ではない。仙台では珍しく地盤が強固な場所に神社は建立されていますが・・・・。

そしたら友人は言いました。「3.11東日本大震災の2ヶ月前、また宮城県沖地震が来ると言われていたので、軽量瓦に全部買えた。変えて直ぐに東日本大震災が来たから、本当に変えて良かった」と。

実は友人の神社、地震の神である鬼渡神を祀っています、そして兄弟神である火事を防ぐ釜神も。私はその御利益だと確信しました。

宮城県民は3.11東日本大震災の前に、宮城県沖地震を経験していた。その時も塀が崩壊して亡くなった人が出ていた。それで塀に鉄棒を入れたり、建物をリノベーションし耐震性を高めていた。

宮城県沖地震以降建設された建物は耐震設計になっていた。それでも被害は酷いものでした。

震災で潰れた家は多くあった。それは豪農が昔に立てた建てた豪華な屋敷です。

立派な木をふんだんに使って建てています。宮大工が建てたであろう家です。今の時代、あのレベルの家を建てたらとんでもない費用が掛かります。

しかも宮城県沖地震にも耐えた。大地震があっても十分耐えられると確信していたと思われます。

しかし、3.11は宮城県沖地震の比では無かった。私もあれ以上の大地震が来るとは思わなかった。津波も原発崩壊も考えられなかった。

3.11東日本大震災ではそれらの家々も潰れました。一番の原因は重い瓦です。

元々は田圃に建てられた家だったので地盤が悪い。重い瓦は上部に重心がある。東日本大震災には耐えられなかった。それで亡くなった人も多かったのてす。

人間、想像の範囲なら対応は出来ますが、それを超えたら脆いものです。

能登半島にも近年地震は来ていましたが、まさか震度7の大地震が来るとは思わなかった。それは仕方がないのかも知れません。

ただ、古くからの重い瓦を外していたのなら、助かっていたのかなぁーと思うと大変残念ですね。

多分、地震の専門家は能登半島に震度7の大地震が来る可能性は、知っていたと思えます。

行政はその面で注意喚起と,耐震に対する補助をしていなかったのでしょうか。

輪島市の萎びた町並みは風情があっても良いですが、軽量瓦にするなり、瓦を外しガルバリウム鋼板にしていれば、家が潰れて亡くなる人も助かった可能性があったと思います。行政が音頭を取って対応していればと思うと大変残念です。

まっ、今は50年の耐久性がある屋根も出ています。ガルバリウム鋼板に変えるのであれば、それほど費用はかかりません。

行政が積極的に動いていたら、全壊の家も少なかったと思います。亡くなる人もです。

東日本大震災から学んでいなかった。大変残念ではありますか、その点は行政の大失態だと思います。


ではでは。


コメント (2)
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