諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

震災後、怖いのは事故死と言う名の無意識の自殺。

2024年01月12日 19時32分04秒 | 東日本大震災
能登半島地震で家族7名を亡くした男性がいます。60代後半なのかと思ったら、私よりも若い52歳でした。

正月に妻の実家に帰省していて、妻の両親と妻、そして4人の子供が震災の犠牲となった。

こういうのに私、やられます。分かっているのです。鬱の人は他人事とは思えない。被害者の感情が自分の心に入って来てしまう。同情して鬱が深まる。

「所詮は他人事」と思えるようになると、鬱病は回復基調にあるらしいです。

それって人としてどうなのか。そんな冷たい心で良いのか。

良いのかも知れませんね。同情しても亡くなった人が戻って来る訳でもないし、何も進展しませんし。

「あの時、こうしていれば。その場所に行かなければ。帰省しなければ。瓦屋根を変えていれば。」等々、悩んでも仕方がない事を悩み続ける。それは生きながらの地獄だと思います。

だったらどうすれば良いのか。

宮城県の東松島市で「青い鯉のぼりプロジェクト」が毎年開催されています。

主催者の青年は3.11の津波で4人の家族を亡くした。

亡くなった末の弟は青い鯉のぼりが好きだった。それで毎年3月11日から5月5日まで、青い鯉のぼりを持ち寄って天空を泳がせようと言う企画です。津波で亡くなった人への鎮魂の想いが込められています。

この主催者の青年は祖父母と母親そして末弟を亡くした。残ったのは父親と直ぐ下の弟。しかし、新たな悲運が訪れた。震災から9年後、直ぐ下の弟がバイク事故で亡くなったのです。

臨床心理士は私に「事故死は半分自殺」と言いました。私も父を亡くしてから3度バイクで事故を起こしそうになり、2日続けてクルマをぶつけています。
私、半分死んでいる状態だった。だから事故を起こしたのだと思えます。

これは不味いと思い、暫く引き籠っていました。引き籠って考えていましたが、いくら考えても答えなんて出ません。何を考えているのかも分かりません。

私、こんな神道を冠したブログを書いていますが、その一番の理由は事故死した従兄弟を生き返らせたいとの思いがあったからです。でも、それは無理な話。

だったらこっちから死んで会いに行くか。

そう考える人も多いでしょう。其れも良いのかも知れません。人生の隅々まで知ったのなら、自ら死を選んでも良いのではないでしょうか。

私はまだ知らないことがあるから、苦しいながらも生きている。そんな感じですが、これ以上の苦しみや痛みが加わるのであれば、死を選ぶかも知れません。否、大抵の人は死を選ぶのではないでしょうか。

うーん、何時もながらタイトルから逸脱しちゃいました。震災死に話を戻します。

大変酷な言い方だと思いますが、震災で家族を亡くした方は、どうせ人間、何れは死ぬのですから、「自分なりに納得して生きてたいから、もう暫くこっちにいるよ。死んで会える日を楽しみにしているよ」、っと言う気持ちが必要なのかも知れません。

何時までも死者の心に寄り添っていたなら、ボンヤリししてしまう。そして事故死してしまう。

そうなったら震災で亡くなった家族はあの世であった時に、「何やってんだ、馬鹿」とでも言いたくもなるでしょう。

人間、何れは死ぬ。もしかしたら死の国は現世よりも良い所かも知れない。楽しい所かも知れない。本当に天国なのかも知れない。

そう思って残りの人生を歩むしかないのではないか。また会える日が来ると思って。

急ぐことは無い。人は何れ死ぬのです。ゆっくりと死に向かって歩んでいきましょう。道端の花をめでり、山川の風景を楽しみながら。

亡くなった者はあの世で楽しくやっている。自分もその中に入る日を思い浮かべながら、ゆっくり歩いて行けば良い。

人生って案外、そんな感じなのかも知れませんよ。


ではでは。



コメント (4)
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