鬱が酷くて途絶え途絶えになっております。
はぁー、私の事を誰も知らない町で暮らしたい。女川の家賃5000円台の復興住宅で暮らしたい。平屋庭付き駐車場付き2DKで一人で住んで、釣りと図書館での読書三昧で暮らしたい。そうしないと精神がまいる。
さて、続きです。
イエス・キリストは十字架にかけられた時、神に対して不平を述べた。神に対して不信感を示した。これはどう言う事か。
イエスは神を信仰する心と自分の命を秤にかけて、自分の命に重きを取ったと言えるのではないか。イエスでさえ神を信じれなかった。それなのにキリスト教は成立すると言うのか。
イエス・キリストと対比できる人物がいます。戦国時代の日本人。奥平家の家臣・鳥居強右衛門(とりいすねえもん)です。
時は長篠の戦。城主・奥平貞能は元々は武田家の家臣だったが、織田徳川連合に寝返っていた。徳川家康の命で長篠城を500の兵で死守していた。
しかし、武田勝頼が率いる1万5千の兵に城は囲まられる。火矢により兵糧庫が焼かれ食料が無くなり、数日で落城の危機に瀕していた。
奥平貞能は家康の居る岡崎城へ救援を求める決断をした。しかし、城の周りは1万5千の兵に囲まれている。使者は決死の覚悟が必要。
そこに鳥居強右衛門が手を挙げた。鳥居は城の下水口から城を出て川を潜り脱出に成功。岡崎城に到着。
岡崎城では家康の8千の兵に加え、3万の織田軍が到着していた。翌日にも3万8千の兵を出立する準備が整っていた。
これに喜んだ鳥居は信長・家康らが止めるのも聞かず、「早く長篠城に知らせたい」として、そのまま引き返した。しかし、武田の兵に見つかり取り押さえられる。
武田勝頼は3万8千の織田・徳川連合軍が動くことを知る。そこで鳥居に「援軍は来ない」と伝えれば、命を助け武田軍の重臣として迎える約束をする。鳥居はその申し出を承諾する。
援軍が来ない事が分かれば長篠城の500の兵の士気は下がり、降伏すると勝頼は考えたのだ。
しかし、鳥居は長篠城に向かい「二、三日後には3万8千の織田・徳川軍が到着する。それまで持ちこたえよ」と叫ぶ。武田勝頼は鳥居に怒り、その場で鳥居は磔にされ殺された。
殺された鳥居を見た長篠城の兵は奮い立ち、二日間持ちこたえ織田・徳川軍が到着。無事、長篠城は守られた。
鳥居強右衛門は自分の命と仲間を助けたい心を天秤にかけて心を取った。自分の命よりも仲間を助けたい心を重視した。
その態度はイエス・キリストを大きく上回る善である。イエスよりも神に近い存在である。
私は命も大切だが、それ以上に心が大事である。そう思っております。
続く。
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