本来なら「平将門公の息子は安倍晴明!?」の方がしっくり来るのでしょうけど、それはそれ世界で唯一の永井平九郎研究家の私です(恥かしい)。永井平九郎の兄として今回のお題を書きたいと思います。その方が判りやすい部分もありますので。
っとは言っても、「平将国=安倍晴明」説は多くの方が書いてますし、伝説として残っています。私も同じ事をなぞってもしょうがないと思うのですが、後に書きたいと思っている永井平九郎の陰に隠れる瀬織津姫との関係について、序章として語るには都合が良いと思いました。
今回はやっつけ仕事になっちゃいますし発見は無いかも知れませんが、チラッと書いておきます。暫しお付き合い下さい。
さて、あの陰陽師・安倍晴明は平将門公の息子・平将国であると言う伝説が伝わっています。
その前にちょこっと平将国に付いて説明します。将国は将門公の次男から下だと思われます(長男は良門)。平将門の乱で平貞盛、藤原秀郷、藤原為憲に一族郎党が誅され、将門公の息子では唯一生き残ったとされています。
大叔父の平良門に匿われて常陸の国の信太、今の霞ヶ浦まで逃れ二代新皇を名乗り、領地の回復に尽力したとされます。
この平将国が何故に安倍晴明だとする伝説が残っているのか。
安倍晴明は北斗信仰です。北極星の神格化である妙見菩薩を崇めています。そして平将門公も妙見菩薩を守護神としていた。平将門公の家紋である九曜紋も北斗七星を示しています。その点は間違いない。勿論、息子の平将国も妙見菩薩を崇める北斗信仰なのは当然。そこが第一の共通点です。
そして出身地にも謎が残る。安倍晴明は大阪市阿倍野区阿倍野町に鎮座する安倍晴明神社が生誕の地とされています。境内には安倍晴明生誕の地の碑もあります。少なくても関わりのある地なのは間違いないです。
それがもう一箇所生誕の地があります。「ほき抄」と言う書に晴明の由来が書かれており、常陸国筑波山麓の猫島、つまり現在の茨城県真壁郡明野町猫島が安倍晴明の生誕の地と記載されています。
更に安倍晴明の母親は信太の森の白狐だとの話が伝わってます。大阪市和泉区にその伝説の舞台となった信太森葛葉稲荷神社があり、その祭神は安倍晴明の母親の白狐・信太明神が祭られています。
そして信太と言う地名が茨城県にもあるんです。信太の森もあります。そして安倍晴明を祭る晴明神社も。
茨城の信太では平将国がこの信太郡に逃げ延び、信太姓を名乗ったと伝わっています。ここから「安倍晴明=平将国」説が出たと思われます。
平将国である安倍晴明が信頼する花山天皇と共に、父である平将門公の意思を次いでこの地に独立国を作ろうとした。その説が茨城の信太に根付いて晴明神社が建立されたと思われます。
つづく。
今日たまたまぶっちゃけ寺で安倍晴明やっていましたよ。式神のが兄っぽいとも。これ私の好き嫌いのイメージです。
まだ続きがあるのにすみません。
なんとなく晴明にやられた方の立ち位置みたいです。信太も藤太のようにも。田原や俵で考えれば大国さん関連?でも平九郎さんは恵比寿さん関連。晴明さんと平九郎さんが同じ血を持っていても晴明さんは婿養子的で嫌なイメージに思うのかも。兄弟ありそうですね。
びっくりしました、続き楽しみにしています。1664
以前、「平九郎」と言うペンネームで多くの人のブログにコメントしていました。「平九郎」で検索すると結構出て来ますね。随分、恥かしい事を書いていたと思います。ホント、恥かしい。
平将門の息子かは証明できませんが、平家の落ち武者に永井平九郎がいたのは確かだと思います。そして御鍋神社に祀られている。これは殺された可能性が高いと思います。平九郎谷に葬られたとされていますが、谷に葬るってチョット考えられないし。
谷と崖って宮崎駿さんも好きかな?
一つ思うのは鳥葬ってありますけど風がきやすい所に放置されていない事祈りますよ。顔に土器の事思い出しましたよ。
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今源氏やっと探索し始めて好き嫌いでイメージ作ってるんですけど、安倍晴明ってだれか知り合いいないのかな?って思ってます。というのも私が唯一出会ったのが木曽福島だか信州だったように思うんですよね。その時は確か義仲の気配もある地だったんです。つまり源氏のブレーン的な氏族の中との関わりは感じるんですよね。
なので将門系統に入ってくるのも納得ですので兄ちょっと探ってみますよ。
あと私がずっと長く切れずに持っていた神社のお守りが義家が関わる所でして一昨年去年と鏡族探索と地蔵探索で久々行ったらそこからなんか源氏ばっかりで困ってます。東北に前九年の役辺りに行く前とか東京の神社の歴史は源氏からという所が多いんですよね。その後感謝で何か作っているとかも多い。そこでは安倍氏が絡むんですよ。なんなんでしょうね。で恩赦でその後とかもちょっと気になります。そもそもどこの民族から出たのか?謎です。五輪塔が好きなんですけど五輪塔じゃなかったような?南の島だったかな?
さっきちょっと調べてみたら安倍晴明さんは亡くなってから100年後くらいに色々と書物に出るようですが、100年って三世代か四世代かなり不思議ですよね、大切な方や書物管理の関係の方ならすぐ文書にも残されるようにも思いますので。あと、そもそも金属との縁もありそうな一族なのに意外と金属と接点ないんですよね、ただ奥州藤原氏か清原氏には関わってくるんですけどちょっとイメージ逆なんで困ってます。
将門さんにはそう、この時期会いに行きたかったなあ。すっかりコロナで忘れてました。節分前に行ったきりです。今度将門さんに安倍晴明さんについて聞いてみたいと思いますね。その前に平九郎さんの兄調べてみますね。そうそう九郎絡みでは稲荷というか狐さんは九郎さんに絡んでいるように思うんですよね。将門さんの息子ならばお母様で判断出来るように思うので調べてみますね、桔梗も絡んでいるのかしら?
あと東北でコロリってなんか三寺出てきたんですけど、徳一さんと道満さんってどうもイメージが似ていまして困ってます。そんなんで将門の息子が道満って事はないのかな?都落ちというか本拠地に戻ったとか。都の面倒くささで逃げたとか?
私のワークで父の方の関係だと道が付くのと北極星と妙見が関わるんですけど源氏寄りって矛盾ですよね。ただお父さんの将門さんがあるならば息子たちで見えてくる事ありそうで期待します。
安倍清明は史実かどうかは分かりませんが、道満に裏切られて殺されたり(生き返ったけど)、あんまり信頼出来る人物は近くにいなかったのではないでしょうか。
いたとしたら花山天皇くらいですか。この天皇が出家したのは藤原氏の陰謀とされています。もしかしたら平将門を慕う者達が、花山天皇と安陪清明を担ぎ上げて東国に新たな朝廷を創ろうとしたのかも知れないです。
下衆な考え方ですが、陰陽道も商売の面はあります。修験道の役行者同様、安陪清明を神格化した。その信仰が朝廷に逆らった平将門公の地で広がったとも考えられます。
徳一大師と安倍清明は生きた年代が違いますが、清明は何故か会津にやって来たとの話が伝わっています。何かしら徳一大師に関わりがあるのかも知れませんね。
将門の関係で担ぐのはありそうですね。どうもそのおかげでで関東の義家よりもっと上の代からの縁が見えなくなってます。でそこに大抵藤太とか太田道灌とか。
私は両方とも供養してあげたいと思うので担いだ方と担がれた方のそれぞれの苦労を理解して現実にそれは良くないし連鎖も断てればいいんですけど。関わっちゃいけないのとも思うんで徳一さんのような方にお任せしたいとは思ってます。
で今日が面白いのが賀茂の葵祭と大阪の壺井八幡のお祭りのようでして両方と評価されてくるといいのにと思います。で笑ったのが夢で後ろの人に押されて鈴にたどり着いてお参りしていてふとしたの賽銭箱見たら男の子がしらっと賽銭掴んでケロっと行ってしまったんです。いやあ、そういう事するのを止めるって出来ないのかな?と関わらないのが一番かな?とも。今で言うサイコパスっぽい、顔は綺麗な子でしたけど。
どうも陰陽道や天文や暦を継承した人の流れをみると道満さんも賀茂系から引き継いでいるようですよね。
で道満と清明は世代が全く違うようでびっくりしました。道満が失脚した理由もみかんがねずみに?訳わからない伝説って結構深そうで笑っちゃいました。
で山部赤人さんがちょい鍵握ってそうですよ、宇多も関係しそうです。
以前「幽霊との対峙」と題して書きましたが、賽銭泥棒は神社にとって深刻だそうです。
数日前、コロナの撲滅を願い、友人の神社の大歳神を祀る摂社に参拝に行きましたら、小さな賽銭箱がなくなっていました。盗まれない工夫をしていたのだと思います。
賽銭を盗むと言うのは、賽銭を投げた人の負を受け取った事になります。覿面に負がやってきます。負の倍返しどころじゃありません。恐ろし過ぎます。