続きます。
えー、何か、またまた横道にそれちゃいましたね。漢字と言うのは象形文字からスタートしている訳で、元々の意味は間違って解釈されているケースが多いと言う事が、何となく判って頂けたでしょうか。
私は外国語の知識は皆無に等しいのですが、日本語の会話能力や文章能力の高さって世界でも有数じゃないでしょうか。
日本人は意思表示が苦手と言われていますが、英語みたいにニュアンスやジャスチャーも殆ど必要ない。たから言葉回しで十分意思を表示できる。これは日本語が難しいと言われる一員ではありますが、高度な語学ゆえ難しいのだと思います。
もっとも数字でも「いち、に、さん、し、ご、ろく・・・・・」と「ひい、ふう、みー、よ、いつ、む・・・・・」と二種類が有る。これは二つの民族の語源を意味している。それが表現力を高めている反面、難しくしている様に思えます。
例えば体に身に付けるにしても「帽子をかぶる」、「服を着る」、「ジーンズを穿く」と違う表現となります。全て「着る」で理解できるのに言いあらましが違う。しかも「服を着る」と「服を切る」では正反対の意味になる。これは難しいと思いますね。
うーん、そろそろ何時もの様にシドロモドロになりつつありますが、「穿く」の意味です。直訳すると「穴を開けて入る」です。ジーンズは足から入れます。足から入れるのは「穿く」です。
そうそう、忘れてました。「靴を履く」の「履く」もありましたね。この「履く」の直訳は「踏み潰す」。同じ足から入れるのだから「穿く」で統一してもいいと思うのですが、元々意味合いが違う。それでも同じ発音である。それは「ハク」と言う発音が漢字が渡来する前は同じ意味だったと言えます。
えー、まどろっこしい説明を続けてきましたが、「ジーンズを穿く」の「ハク」の本来の意味を言います。それは「剥ぐ(ハグ)」です。「靴を履く」の「履く」も同じく「剥ぐ」から来ています。つまり「ハク」は間違って表記されている。正反対の意味となります。
何故、正反対の意味になったのか。私には上手く説明できませんが、「愛、幸、光」が間違った意味に捉えられた流れと同じ件だと思います。
ここまで言ったら、このブログを読んでくださっている奇特な方は、「剥ぐ」と瀬織津姫の関連はお分かりだと思います。
瀬織津姫は三途の川の奪衣婆。死者の衣類を剥いで、衣類の重さで死者の罪を計る。
そして瀬織津姫をアイヌ語で約すと以前ブログでも書きましたが、「セ=背負う」、「オ=入る」、「リ=毛皮を剥がす」です。「ツ」は間接詞で「~の」と考えます。つまり直訳すると「毛皮を剥いで背負い入る姫神」。
更に「穢れ」の語源は「毛刈り」です。「リ=毛皮を剥がす」は「毛刈り」と同じ意味。つまり「穢れ」と訳せます。
三途の川は境界線。黄泉の国への境界線です。それを組みしてセ・オ・リ・ツ・姫」を約すと「人々の穢れを背負い、黄泉の国に持って行ってくれる女神」となります。
やっとここまで持ってきました。つまり瀬織津姫で「白山」を約すと「剥ぐ山」になります。
山は古来、黄泉の国とされていました。熊や蛙、そして蛇は山で冬眠します。生と死の世界を行き来すると考えられてました。だから山は死の世界、黄泉の国となります。
穢れを背負い黄泉の国である山に持って行ってくれる瀬織津姫。だから瀬織津姫で考えると「剥ぐ山=白山」になるのではないでしょうか。
長々と大それた事を書いてきましたが、ここで疑問が発生します。瀬織津姫の源流と言うか、モデルです。
卵が先が鶏が先かとなりますが、瀬織津姫の役割を果たしていた人間のいます。その人間の源流を遡れば、これまた違う意味合いが考えられます。
それは何か。
もう私、精神力の限界に来ましたので、それは亦、次の機会にストーリーを練り上げてからお話したいと思います。
ではでは。
えー、何か、またまた横道にそれちゃいましたね。漢字と言うのは象形文字からスタートしている訳で、元々の意味は間違って解釈されているケースが多いと言う事が、何となく判って頂けたでしょうか。
私は外国語の知識は皆無に等しいのですが、日本語の会話能力や文章能力の高さって世界でも有数じゃないでしょうか。
日本人は意思表示が苦手と言われていますが、英語みたいにニュアンスやジャスチャーも殆ど必要ない。たから言葉回しで十分意思を表示できる。これは日本語が難しいと言われる一員ではありますが、高度な語学ゆえ難しいのだと思います。
もっとも数字でも「いち、に、さん、し、ご、ろく・・・・・」と「ひい、ふう、みー、よ、いつ、む・・・・・」と二種類が有る。これは二つの民族の語源を意味している。それが表現力を高めている反面、難しくしている様に思えます。
例えば体に身に付けるにしても「帽子をかぶる」、「服を着る」、「ジーンズを穿く」と違う表現となります。全て「着る」で理解できるのに言いあらましが違う。しかも「服を着る」と「服を切る」では正反対の意味になる。これは難しいと思いますね。
うーん、そろそろ何時もの様にシドロモドロになりつつありますが、「穿く」の意味です。直訳すると「穴を開けて入る」です。ジーンズは足から入れます。足から入れるのは「穿く」です。
そうそう、忘れてました。「靴を履く」の「履く」もありましたね。この「履く」の直訳は「踏み潰す」。同じ足から入れるのだから「穿く」で統一してもいいと思うのですが、元々意味合いが違う。それでも同じ発音である。それは「ハク」と言う発音が漢字が渡来する前は同じ意味だったと言えます。
えー、まどろっこしい説明を続けてきましたが、「ジーンズを穿く」の「ハク」の本来の意味を言います。それは「剥ぐ(ハグ)」です。「靴を履く」の「履く」も同じく「剥ぐ」から来ています。つまり「ハク」は間違って表記されている。正反対の意味となります。
何故、正反対の意味になったのか。私には上手く説明できませんが、「愛、幸、光」が間違った意味に捉えられた流れと同じ件だと思います。
ここまで言ったら、このブログを読んでくださっている奇特な方は、「剥ぐ」と瀬織津姫の関連はお分かりだと思います。
瀬織津姫は三途の川の奪衣婆。死者の衣類を剥いで、衣類の重さで死者の罪を計る。
そして瀬織津姫をアイヌ語で約すと以前ブログでも書きましたが、「セ=背負う」、「オ=入る」、「リ=毛皮を剥がす」です。「ツ」は間接詞で「~の」と考えます。つまり直訳すると「毛皮を剥いで背負い入る姫神」。
更に「穢れ」の語源は「毛刈り」です。「リ=毛皮を剥がす」は「毛刈り」と同じ意味。つまり「穢れ」と訳せます。
三途の川は境界線。黄泉の国への境界線です。それを組みしてセ・オ・リ・ツ・姫」を約すと「人々の穢れを背負い、黄泉の国に持って行ってくれる女神」となります。
やっとここまで持ってきました。つまり瀬織津姫で「白山」を約すと「剥ぐ山」になります。
山は古来、黄泉の国とされていました。熊や蛙、そして蛇は山で冬眠します。生と死の世界を行き来すると考えられてました。だから山は死の世界、黄泉の国となります。
穢れを背負い黄泉の国である山に持って行ってくれる瀬織津姫。だから瀬織津姫で考えると「剥ぐ山=白山」になるのではないでしょうか。
長々と大それた事を書いてきましたが、ここで疑問が発生します。瀬織津姫の源流と言うか、モデルです。
卵が先が鶏が先かとなりますが、瀬織津姫の役割を果たしていた人間のいます。その人間の源流を遡れば、これまた違う意味合いが考えられます。
それは何か。
もう私、精神力の限界に来ましたので、それは亦、次の機会にストーリーを練り上げてからお話したいと思います。
ではでは。