諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

消費税延期は当然でしょう。

2016年06月03日 00時12分51秒 | 政治・経済

消費税の2年半の延期が発表されましたね。正直、一安心です。あぁー良かった。最悪な状況が回避出来て。出来たら消費税を5%に戻せば内需が活況となって更に良かったですけど。

大体、消費税が5%に引き上げられたのが1997年です。8%になるまで17年かかっています。それが3年程度で5%から8%、10%になる。いくら何でもピッチが速すぎます。誰だって税金が高くなったと感じます。絶対に不況になります。

お金に余裕のある人は消費税8%は計算しづらい。10%の方が計算しやすくて良いと思っているかも知れませんが、二桁は私の経済感覚からしたら高いです。絶対に買い控えに走ると思いますね。

現に消費税が取られないケースが多いヤフオクでばかり買い物をしています。私みたいなどうしようもない者が増えてしまう。これは日本経済にとってマイナス以外の何物でも無いと思います。

実際、食料品とか安物への10%の課税はさほど深くは考えないと思います。108円が110円になる。たった2円の違い。1円玉を用意しなくて済む。そう考えると私は目くじらを立てません。塵も積もればですけど、その位なら我慢出来る。

しかし、高額商品となれば考えちゃいますねぇー。税込み108万円の軽自動車が110万円になる。100万円の軽自動車を買う為に10万円も税金を取られる。この感覚は私でなくても高く感じるのではないでしょうか。

これが税込み105万円ならどうか。この位なら「まっいいか」となるのではないですか。貧乏な私でも割り切れる。消費税5%に戻したなら良い感じに消費する人が増える。納得出来る。景気も上向くと思いますね。

さて、消費税10%は2年半後と言う事になりましたが、2年半後に実施されるかどうか。

私は2年半後も景気は今と変わらないと思います。全世界マイナス成長時代に突入しましたから。その中でも日本はまだ良い方だと思いますが、団塊の世代が天寿を全うするまでの期間は不況が続くと思います。どうでしょう、後20年近くかがるではないでしょうか。

私は消費税の5%までの引き下げ、不動産の固定資産税と相続税の減税、そして不公平感を減らす為に所得税の増額と公務員の所得の減額は必要不可欠だと思います。日本を存続させる為にです。

私の家も平成2年に新聞屋を辞めて権利金の売買、そして土地の売買でとんでもない税金を払った事があります。でも、日本総中流時代は楽しかった。安心できた。将来も不安が無かった。そして税金で取られるよりはと思い消費もした。そうじゃないと本当に日本は駄目になると思いますね。

まぁーそんな時代に戻るのはチョット難しいとは思っていますが、最低限、どこかの靴屋だかの何十年にも渡る閉店セールの様に、消費税上げる上げる詐欺と申しましょうか、上げそうで上げないお笑いみたいな政策しかないと思いますね。

野党、特に民主党は安倍総理の消費税アップの先延ばしを批判していましたが、福島産まれ宮城県育ちの私は忘れません。震災の時の民主党の無能さを。良くお前ら批判出来るなと思いましたわ。

もう安倍さんに頼るしかないのです。何とか頑張って欲しいなぁーと思いますね。

 

ではでは。

 

 

 

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私の産土神と氏神。そして八坂神社と鬼渡神。その2

2016年06月02日 11時39分44秒 | 神道

続きです。

さて今度は産土の神社です。私は福島県いわき市好間町で産まれました。不思議なことに産土神社も八坂神社です。私の母親は上好間の田代。同じく産土神社は八坂神社です。

好間町には古河好間炭鉱がありました。私が産まれた1964年までです。小さな町ですが小学校が4校もあったのです。大変栄えていた町でした。

しかし炭鉱が閉山してからはとんでもなく人口が減りまして、私の親父は自動車教習所でバイトしながらも新聞販売店を経営していましたが暮らしていけず、宮城県仙台市へ転居した訳です。

当然、産土神社である八坂神社も昔は祭りとなれば大変にぎやかで、屋台などが大勢でて大変賑わっていたそうですが現在では神職も常駐しておらず、近くの熊野神社の宮司が管理し、通いで祭事を行っている様です。

現在でも三匹獅子舞を行っています。っと言う事はこの地域も平家の落ち武者の町と言えます。鬼渡神社と呼ばれていた永井神社、そして弁天様である湯津疎佐姫を祀る御塚神社があるいわき市三和町、そして永井平九郎を祀る天栄村の御鍋神社も平家伝統の三匹獅子舞が伝わっています。そして私も平家の家系。福島県は平家の落ち武者が大勢逃げ込んだみたいですね。平将門の時代から。

敗れたら北へ逃れろ。だから敗北と言うらしいですが、何時の時代から敗北と言われるようになったのでしょ。源義経も北に逃れたし、伝承ではナガスネ彦、忍熊皇子、蜂子皇子も北に逃れた。東北は敗者に優しい。強いては蝦夷は敗者を匿う習性があるのか。これはまた何れ考えたいと思います。

話を八坂神社に戻します。

元々はやはり牛頭天皇と称していたそうですが、明治の神仏分離で八坂神社へ。そして大正時代になって大山神社を合祀しています。つまり祭神はスサノオ命と和多志神の別名を持つ大山祇神です。鬼渡神となります。

この社ですが大変気になる飾り彫りがあります。何と言ったら良いのでしょうか、えーと、そのう、あのですね、アメノウズメ命が猿田彦命と対峙した時の様に女の人が胸を露にして立っており、男が跪いてその胸を吸っているのです。これはチョットいやらしいです。

これは一体何を意味するのでしょうね。夫婦和合。安産でしょうか。私の母親は10人兄弟ですので、安産と夫婦和合に大変ご利益が有ったと言えなくも無いです。炭鉱が有ったと言う事は若い労働者の町と言えますので産めよ増やせよでこんな飾り彫りをしたのでしょうか。

でもスサノオ命が夫婦和合とか安産の神なのか。妻も子供も大勢いたからそうだと言えばそうなのでしょうけど、チョット変ですねぇー。道祖神なら納得なんですけど。

それよりも鬼渡神である大山祇神を合わせて祀っているのも興味が沸きます。大山祇神の孫娘である奇稲田姫とスサノオ命は結婚したので、両者は義理の祖父と孫の関係となります。

しかし、単純に考えれば地主神と渡来神の関係。つまり大山祇神一族ははスサノオ命に侵略されたとも考えられます。

そして大山祇神は娘の岩長姫をにコノハナサクヤ姫と共にニニギノ命へ嫁がせ、醜い岩長姫は返された。それを恥じて岩長姫は自害した。それで大山祇神は天皇家を呪っている。

つまり大山祇神は怨霊。それを征服者であり乱暴者であるスサノオ命が調伏する形で一緒に祀られたのでしょうか。案外、近かったからと言う理由かも知れませんけど。

まっ、そう言う事で産土神も氏神もスサノオ命であり鬼渡神だったと言うお話でした。これもまた因縁ですね。

 

ではでは。

 

 

 

 

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私の産土神と氏神。そして八坂神社と鬼渡神。その1

2016年06月01日 07時01分34秒 | 神道

これまで色々と私と鬼渡神との因縁を書いてきました。実はまだありました。産土神も鬼渡神だったのです。そして不思議な事にどちらも八坂神社であり、その境内社として鬼渡神が祀られている。チョット偶然とは思えないので、今回はその話を語りたいと思います。

ところで産土神(うぶすながみ)をご存知でしょうか。まっ、色々ご意見はあると思いますが、基本的に貴方が生まれた土地の神社の神様が産土神となります。

そう考えると難しい問題があります。生まれた家の近くの神社の神が産土神なのか、生まれた病院の近くの神社が産土神なのかです。うーん、どうなのだろ。

昔はお産婆さんを呼んで自宅で産んでいたので、自宅の近くの神社が産土神社。その神社に祀られている神が産土神ですけど、今は大抵の人が産婦人科の病院で産まれてます。この場合、どうなんでしょ。誰か知りませんか。

うーん、とりあえず両方とも産土神と考えていた方が良いかなぁー。後でチョット調べて見たいと思います。今回は生まれた家の近くの神社を産土神と考えて話を進めます。

 さて、これまでにも私と鬼渡神との因縁に付いて書いてきました。私は仙台市泉区に住んでいますので氏神は岩切にある仙台八坂神社となります。八坂神社はスサノオ命を祀っている。私の氏神はスサノオ命で間違いないです。

同神社は1190年に京都の祇園から観請。牛頭天王社から明治の神仏分離で仙台八坂神社と呼ばれる様になります。

問題は境内社である志波彦神を祀る冠川神社です。以前は志波彦神社と呼ばれていました。

この冠川神社、何時から鎮座していたか判らないそうですが、元々は現在の塩竃神社に鎮座していた。蝦夷の首長である母礼(モレ)、もしくは母礼の一族が建立した社だった。それが母礼の一族が大和朝廷に破れ、神社も現在の岩切にうち捨てられていた。そしてその場所に牛頭天王社が建立されたと私は考えています。

因みに塩竃神社は一森山に鎮座していますが、この「一森」の名は母礼がら来ている様に思えます。母礼の一族は盛氏です。塩竃には盛さんが多い。母礼一族の基盤の地だった。そして森と盛。一森山は母礼一族の霊場であった事から一森山の名が付いたと思います。

まっ、この話は長くなるのでまたの機会にします。塩竃神社を考察するのは大変骨が折れますので。

さて、この志波彦神が鬼渡神である旅立ちの神、境界線の神・阿須波神です。冠川(現在の七北田川)は、志波彦神が馬で川を渡っていた時に川石に躓き頭の冠を落とした事から冠川となった。川は古来の境界線。阿須波神である志波彦神が冠川神社に祀られるのは辻褄が合います。

阿須波神とスサノオ命との関係は祖父と孫になります。スサノオ命と大山祇神の娘・神大市比売との子である大歳神と天知迦流美豆姫の子が阿須波神ですので。それが八坂神社の境内社として祀られている。祖父と孫で仲が良いからか。

違うと思います。阿須波神は怨霊。その怨霊を封じ込める為に乱暴者のスサノオ命を合わせて祀ったと私は考えます。つまり仙台八坂神社の地主神は志波彦神である阿須波神である。スサノオ命も勿論だが、私の家の氏神は阿須波神であると言えます。

 

続く。

 

 

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