諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

震災は誰のせいでもない。能登半島大震災被災者は、イライラして人に当たってはいけない。人としての尊厳を持て。

2024年01月18日 18時56分07秒 | 東日本大震災
あっー、重度のHSPなので能登半島大震災の惨状を見ると、その場にいた人の状況が心に入って来て鬱が酷くなります。

今年は脱抗鬱剤を誓っていたのですが、私も東日本大震災の経験がフラッシュバックして、抗鬱剤を飲まなければ辛くて仕方がない。

悪い言い方ですが、能登半島大震災は他人事だと想えば鬱にならないと思うのですが、どうしても東日本大震災の絶望感が蘇る。こう言う時は抗鬱剤を飲むしかない。心がこれ以上駄目にならない為に。

さて、言いづらい事をまた言います。東日本大震災での出来事です。宮城県ではそこら辺から怒号が聞こえていました。

ガソリン5ℓを買う為に、ガソリンスタンドに5時間並んでいたのですが、決められた5ℓが少な過ぎるとスタンドの店員に暴言を浴びせる者。

スーパーに窃盗に入ろうとして警備員と喧嘩をする者。スーパーのレジでレジの店員に「計算が遅過ぎる」と言って怒鳴っている者。

暫くはスーパーで独り言を言い続けたり、クルマに乗っていて奇声を上げ続けていた者も多く見かけていました。

人に自分の怒りをぶつけたいと言う低レベルの人が大勢いたのです。仙台人が特にそんな資質があるのかも知れませんが、日本人も褒められた民族じゃない。人なんか大したことは無い。私は東日本大震災でそう思いました。

これは私は見ていません。聞いた話ですが、津波被害地では自衛隊の隊員に食って掛かる者が大勢いたそうです。

「こんなとこで休まずに作業をしろ。道路を確保しろ。潰れた家を何とかしろ。行方不明になっている者を探せ」等々。

自衛隊はしっかりやっていますよ。でも動き続ける事は不可能。休息も必要。それを許さない津波被害者。被害者だからと言ってた当たり散らすのは悪だと思います。

私、津波被害地にバイクを飛ばし現状を見たのですが、自衛隊員は横一列に並び、棒の様なものを持って土に突き刺して、埋もれた津波被害者を探していました。あの作業は見ている方も辛い。やっている方はもっと辛い。

辛いことをしている自衛隊には感謝しかありません。それなのに自衛隊に八つ当たりした者が大勢いた。

自衛隊員でも自分の家族が被災した人もいた。家族が行方不明になっている人がいた。其れなのに黙々と自分の仕事をしている。そんな自衛隊員にも罵声を浴びせた者がいた。

震災時は誰だって辛かった。自分だけが辛いのではない。全員が辛かった。

「それなのに自分だけが被害者だと想うんじゃねぇーよ。皆、辛いんだよ。甘えるんじゃねぇーよ」と思ったもんです。

そんな私でも東日本大震災での鬱を引きずっています。これからが大変ですよ、家や職を失った人達は。

最初はホテルや体育館での避難生活となるでしょうが、他県への移住する人も出て来る。

東日本大震災では東京電力から多額の補償金が出たとかで、移住先の人から悪意の目で見られたりもしました。

心が狭い日本人は大勢います。そんな輩との戦いの日々も経験します

辛いのはこれから。誰しも少なからず鬱が降ってきます。

それは自分の心が駄目なのではない。人として優しい心を持っているから鬱が降って来るのです。

私、大変後悔しています。早いうちから心療内科・精神科で治療していれば良かったと。

コロナ禍で日本中の心療内科・精神科では患者で溢れていると思いますが、私の住む仙台市の心療内科・精神科は、新規患者を普通に断っています。患者が多過ぎて治療が受けられないのです。評判の悪い心療内科・精神科でもです。

それは私みたいに、東日本大震災を引きづている人も多く居るからだと言えます。

心が辛ければ病院に行くべきです。早期治療していれば、私も鬱がこれほど酷くならなかったと思います。

それと優しい心を持った人との会話も心を救います。私の周りは心が腐った者だらけでしたが、そんな者とは付き合わず優しい人を友としてください。そして乗り切ってください。

薬も必要です。辛かったら薬の力も借りましょう。心が腐ってからでは遅いですので。


ではでは。






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文春砲と松本人志。その3

2024年01月17日 20時02分49秒 | ニュース
続きます。

松本人志には同類と言うか、生きる上で参考にしただろう人物がいます。島田紳助です。勿論、私の想像ですが・・・・。

島田紳助か芸能界を引退した理由は、ヤクザとの関係です。

紳助はヤクザに因縁を付けられた。それを解決する為に別のヤクザを使い問題を解決した。そうなると助けて貰ったヤクザとは縁が切れない。縁を切ったら報復される心配がある。

当時から芸能界は脱ヤクザ化を進めていた。ヤクザと縁を切らない芸能人はテレビには出せない。活躍の場は無い。それで紳助も芸人を引退したと思います。

その点、ビートたけしは優れていますね。知人がヤクザに因縁を付けられたら、一人でヤクザの事務所に詫びに行った。「何か芸をしろ」と言われヤクザを大笑いさせて問題を解決した。

自身がヤクザに因縁を付けられた時も一人でヤクザ事務所に向かい、土下座して謝り許されている。

ビートたけし程の芸能界の大物に土下座されれば、ヤクザも許す他ない。

自分のプライドを投げ出し土下座するビートたけしの器は凄い。大物だ。

マスコミに追われて傷心した愛人の仇を討つ為に出版社を軍団で襲いましたが、その行動でマスコミに対する線引きをした。後腐れを残さなかった。

ホント、度胸もあるし頭も良いし、器も大きいと思いますね。

松本人志は島田紳助をリスペクトした面もあるし、反面教師にした面もあると思います。

事実かどうかは知りませんが、紳助は多くの女性芸能人との関係が噂されています。そうなると後々問題になる。

それを松本は見ていた。だから素人専門に手を出していたのだと思います。文春砲が正しければですが。

でも、素人言えども人間です。奴隷ではない。ストレスを与える行為をしたら犯罪になる。

彼は素人女性の人格を傷付けた。これは今の時代、松本人志と言えどもタダでは済みません。吉本興業も頭を抱えているでしょう。

性加害??と言えば、アンジャッシュの渡部が有名です。

多目的トイレで如何わしい行為をした。女性を呼び出して道具の様に扱った。そんな性癖を持っていてた。それで芸能界を干されたのですが、渡部と松本のケースは違う。

渡部のケースは愛人契約??している女性との性加害問題です。金銭の契約をしている上に、チップまで与えている。女性は金で買われたのです。女性も女性だと言えるのです。

それでも芸能界には中々カンバック出来ない。それだけ人の心を傷付けるのは、重罪になっているのです。彼を不快に思う人も多いでしょうし。

松本の場合は愛人契約している女性との行為ではない。自分の権威を振りかざして、素人女性の心を傷付けたと考えられます。そう言う性癖だったと思えます。そうなると渡部よりも罪は重い。

私が吉本興業の社長ならどうするか。

ジャニーズ事務所でさえ性加害問題で社名まで変えたのです。罪を認め多額の損害賠償払うはめになった。私なら会社を守る為に松本を切ります。

松本人志は60歳。今の芸風を何時までも続けられる歳ではない。性加害していたら尚更。

ジャニーズ事務所もあれだけ揺れたのです。もう切るしか無いです。紳助のケースと同様に。

私が松本人志ならどうするか。

丁度良い機会です。芸能界を引退します。

彼は才能が有りますが、誰からも好かれる芸人ではない。お笑いBIG3の「たけし、タモリ、さんま」は懐が大きく誰からも好かれるが、松本人志は違う。松本の笑いは万人向けではない。今後、お笑いの実力は落ちると思われる。

だったら辞めるべきだと思います。

性加害問題以降、面白くなくなったと言われる前に、伝説のままに引退した方が良いです。彼の為にも。

その方が辛くないと思いますね。残りの人生を生きて行く上で。


ではでは。


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文春砲と松本人志。その2

2024年01月16日 03時11分30秒 | ニュース
続きます。話をタイトルに戻します。

今の週刊誌はどうやってスクープを取っているのか。

それはやはりタレコミです。ネット時代ですからね。文春のサイトがあって情報を募集しているのです。多くの週刊誌がそれをやっています。

しかし、週刊文春は発行部数と知名度で他の週刊誌よりも抜きんでている。文春砲なる呼び名も付くほど。

しかも情報料も他の媒体よりも高い。そうなると情報面で文春にスクープが集中する。

近年、日本最古の週刊誌である「週刊朝日」も廃刊となりましたが、ここまで週刊文春が独走しちゃうと、他の週刊誌はもう厳しいでしょう。私的にも週刊誌は「文春さえあれば良いかな」と思っています。

その「文春サイトへの書き込み」は信頼性が高いと言えます。文春側としては書き込んだ人に取材する。他の被害者にも取材する。

ギャランティが発生するから情報発信者も誇張なく真実を述べる。嘘を語れば情報発信者に損害賠償が発生するから信憑性が高い。

週刊文春は当然、弁護士も抱え込んでいる。弁護士と相談の上、記事にしている。次の展開も考えて記事にしている。

火のない所には煙は立たない。ここまで来ると文春砲には信頼性しか無いです。

松本人志は「何時辞めても良いと思っていたが、俄然やる気が出て来た。ワイドナショーにも出ます」とか言ってましたが、出演はしなかった。

多分、吉本興業に止められたのだと思います。

「これは不味い事になった。そう簡単な状況ではない。松本の発言が嘘だとなったら、松本のタレント生命も終わってしまう」と、吉本側は思ったのでしよう。

それに対し松本人志は上手く乗り切れると、軽く考えていたと思えます。昔は枕営業等々、そんな事、当たり前の様にありましたから。

彼は人生を上手く乗り切って来た。長年、お笑い界でトップを維持してきた。

自分は日本のお笑い界を牛耳っている。素人女性などどうとでもなる。「握りつぶしてやる」と考えたのではないか。

8年前の出来ごとだから、しらを切り通す。それで乗り切るつもりだったように思えます。

しかし、それは令和の時代、無理な話です。

実は私、吉本興業が出資したタブロイド紙で編集の仕事をしたていました。創刊から半年で廃刊になりましたが。

それで多少、吉本興業に付いて知っていますが、そんなにしっかりした会社だとは思えなかった。

タブロイド紙面で漫才をしようとした。全然面白くない。そんなことも分からないとは、「大して実力はないな」と思っていました。

今は知りませんが、当時は会社の組織力もメリハリがない気がしていました。文春の組織力に吉本は敵わないのではないのか。

ジャニーズ事務所は一枚岩でしたが、日本に進出したイギリスのBBCに潰されました。

全世界は性犯罪・性加害を許さない。ジャニーズ事務所はもう世界進出は不可能。

「性犯罪・性加害は許さない」は世界基準になっています。

松本人志が本当に性加害に寄与していたのなら、松本人志はもうテレビには出れない。出したら吉本興業の見識が疑われる。

世界中から日本の芸能界は軽蔑される。実際に性加害していたのなら松本人志は絶対に許されない。

吉本興業は対策を色々と検討している筈ですが、被害女性は長年、メンタル面で苦しんでいる。人の心を苦しめる。その罪は大変重い時代となった。

解決は困難でしょう。


続く。



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文春砲と松本人志。その1

2024年01月15日 15時57分36秒 | ニュース
私も一応、マスコミにいた人間です。

さて、記者はどうやってスクープをモノにしていたか。

一番はタレコミですが、昔は「噂の真相」と言うタレコミ雑誌があったのです。

その雑誌の枠外に「〇〇と△△は✖国ホテル不倫密会しているとの噂」とか書かれている。その噂を後追い取材して、スクープをモノにしてました。

っと言うより、知名度のないその他大勢の週刊誌は「噂の真相」頼みだったと言えます。

因みに私、こう言うゴシップネタが大好きで、かつて存在した「週刊・宝石」の入社試験に挑んだことがあります。

っとは言え「週刊・宝石」は編集プロダクションに丸投げで、その編集プロダクションを受けたのですが・・・・・。

結果、最終で落とされました。

当時、編集経験が無かったから仕方ないと思います。ゴシップネタには通じていましたが、媒体で文章を書いた事は無かった。良い所まで行ったと思うのですが、即戦力とは言えない。それで落とされたのだと思います。

もっとも採用されていたとしてもその後、数年で「週刊・宝石」は廃刊になりましたから、どっちみち行きつく道は同じだったと思いますが・・・・・。

さて、ダウンタウンの松本人志が「俺の子を産めやぁー」発言等々のSEX上納システムをと言いますが、性加害問題が話題となっています。

私ほどの重度HSPとなると「人の声質と人相」で、その人の本質が分かったりもします。鬱が降ってまいりますので。

現に「どうする家康」の松潤を酷評しましたが、奴も私が思っ通りの人間だった。暴君だったでしょ。

私、松本人志は確かに面白いとは思いますが、鬱が降って来るので今は全然見ていないです。面白さ以上に人相が不快。暴君顔が際立って来ましたので。

人間、権力を持つとこんなものです。何でも自分の思い通りになる。そして暴君になる。織田信長みたいに。

私のブログで度々出て来る、瀬織津姫の神名を商標登録したY氏も変わりました。

懇親会で美しい女性の隣に座り、その女性の半袖??の腕を取り、有無も言わずにペロペロペロペロッと舐めだしたそうです。ネットでの話ですが。

このY氏ですが瀬織津姫を宿しているとか言っているそうですが、瀬織津姫が女性の腕をペロペロ舐めるものか。

これっ、立派なセクハラでしょ。瀬織津姫を宿していると良く言うよ。

Y氏は芸能界を目指して挫折。スピリチュアル分野での瀬織津姫教教祖として成功した。

瀬織津姫を宿していると言い自分を神格化した。神の様に振舞いだした。彼を敬う馬鹿信者も集まった。

それで心に万能感が生じ、瀬織津姫の商標登録を取ったり、ペロペロ事件や様々なセクハラ・パワハラ事件を起こしたと見たいです(ネットでの噂ですが)。

そこまでしたら信者も我に返る。

かつての彼は日本の元ファーストレディとのトークショーやセミナーを行い、200名を超える観客を集める程の人気でした。

それも今は瀬織津姫の商標登録が禍し多くの協力者や信者が彼を離れ、全国の神社の「お尋ね者」となり、正式参拝も出来なくなったみたいです。

彼を神格化して持ち上げていたスピリチュアルヒーラーも、蜘蛛の子を散らす如くに逃亡。今はこじんまりと隠れる様に活動しているみたいです。

そう言えば元ファーストレディも自殺者が出る社会問題の切欠となったり、夫もあんな亡くなり方をしちゃいました。それで神様ごっこも出来なくなったみたいです。

私、瀬織津姫の祟りとしか思えないです。私もブログで瀬織津姫の事を書くのが恐ろしくなりました。神の名を軽々しく口にするのは不味いのではないかと思い始めました。

神の怖さは身に染みて知っていますので。


続く。


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震災後、怖いのは事故死と言う名の無意識の自殺。

2024年01月12日 19時32分04秒 | 東日本大震災
能登半島地震で家族7名を亡くした男性がいます。60代後半なのかと思ったら、私よりも若い52歳でした。

正月に妻の実家に帰省していて、妻の両親と妻、そして4人の子供が震災の犠牲となった。

こういうのに私、やられます。分かっているのです。鬱の人は他人事とは思えない。被害者の感情が自分の心に入って来てしまう。同情して鬱が深まる。

「所詮は他人事」と思えるようになると、鬱病は回復基調にあるらしいです。

それって人としてどうなのか。そんな冷たい心で良いのか。

良いのかも知れませんね。同情しても亡くなった人が戻って来る訳でもないし、何も進展しませんし。

「あの時、こうしていれば。その場所に行かなければ。帰省しなければ。瓦屋根を変えていれば。」等々、悩んでも仕方がない事を悩み続ける。それは生きながらの地獄だと思います。

だったらどうすれば良いのか。

宮城県の東松島市で「青い鯉のぼりプロジェクト」が毎年開催されています。

主催者の青年は3.11の津波で4人の家族を亡くした。

亡くなった末の弟は青い鯉のぼりが好きだった。それで毎年3月11日から5月5日まで、青い鯉のぼりを持ち寄って天空を泳がせようと言う企画です。津波で亡くなった人への鎮魂の想いが込められています。

この主催者の青年は祖父母と母親そして末弟を亡くした。残ったのは父親と直ぐ下の弟。しかし、新たな悲運が訪れた。震災から9年後、直ぐ下の弟がバイク事故で亡くなったのです。

臨床心理士は私に「事故死は半分自殺」と言いました。私も父を亡くしてから3度バイクで事故を起こしそうになり、2日続けてクルマをぶつけています。
私、半分死んでいる状態だった。だから事故を起こしたのだと思えます。

これは不味いと思い、暫く引き籠っていました。引き籠って考えていましたが、いくら考えても答えなんて出ません。何を考えているのかも分かりません。

私、こんな神道を冠したブログを書いていますが、その一番の理由は事故死した従兄弟を生き返らせたいとの思いがあったからです。でも、それは無理な話。

だったらこっちから死んで会いに行くか。

そう考える人も多いでしょう。其れも良いのかも知れません。人生の隅々まで知ったのなら、自ら死を選んでも良いのではないでしょうか。

私はまだ知らないことがあるから、苦しいながらも生きている。そんな感じですが、これ以上の苦しみや痛みが加わるのであれば、死を選ぶかも知れません。否、大抵の人は死を選ぶのではないでしょうか。

うーん、何時もながらタイトルから逸脱しちゃいました。震災死に話を戻します。

大変酷な言い方だと思いますが、震災で家族を亡くした方は、どうせ人間、何れは死ぬのですから、「自分なりに納得して生きてたいから、もう暫くこっちにいるよ。死んで会える日を楽しみにしているよ」、っと言う気持ちが必要なのかも知れません。

何時までも死者の心に寄り添っていたなら、ボンヤリししてしまう。そして事故死してしまう。

そうなったら震災で亡くなった家族はあの世であった時に、「何やってんだ、馬鹿」とでも言いたくもなるでしょう。

人間、何れは死ぬ。もしかしたら死の国は現世よりも良い所かも知れない。楽しい所かも知れない。本当に天国なのかも知れない。

そう思って残りの人生を歩むしかないのではないか。また会える日が来ると思って。

急ぐことは無い。人は何れ死ぬのです。ゆっくりと死に向かって歩んでいきましょう。道端の花をめでり、山川の風景を楽しみながら。

亡くなった者はあの世で楽しくやっている。自分もその中に入る日を思い浮かべながら、ゆっくり歩いて行けば良い。

人生って案外、そんな感じなのかも知れませんよ。


ではでは。



コメント (4)
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