自らの命を賭けて大切なものを守る気概は、崇高であり、気高く美しい。
だけど、それは自らの覚悟の下に自発的になされるべきで、他者に強要されるものであってはならないと思う。いわんや相手が否定することの出来ない状況に追いやってから、上司の立場で部下に強要するなんて醜悪であり、卑怯の誹りを免れえぬものだと思う。
おそらくは、最初の神風攻撃は偶然の産物であろう。爆弾を投下するつもりで敵艦を攻撃せんとしたものの、機体の故障で投下できず、遂には被弾して帰還も叶わぬ。瞼に浮かぶ愛する家族を守るため、仲間を助けるため、母国を守るため自分に出来うる最上の手段として、爆弾を抱えたまま敵艦に体当たりをかけた。
敢えて言うが、別に日本人だけの特別な行為ではない。人類の歴史上、少なからぬ兵士たちが戦場で敵を倒すため、敢えて自身の命を投げ打って戦場に散ることは珍しくない。
違和感を持つ人も多かろう。どんなに惨めでも、無様であっても生きて還ることにこそ至上の価値観を見出す人もいるはずだ。死して国を守ったと褒められ讃えられようと、生きて還って欲しかったとの想いは家族なら当然だと思う。
それでも、自らの命をもって仲間を、家族を、郷里を、国家を守る行為には尊ぶべき偉業として讃えられることは必然でもある。
しかしながら、神風攻撃を作戦として公に行うことは同じではない。そもそも自爆攻撃なんてものは、取るべき戦術としては最も愚かしいものである。多大な時間と予算をかけて育成した兵士を、むざむざ死なせるような作戦は、自滅行為であり、自損行為でもある。
敢えて断言したい。真っ当な指導者ならば、自らの兵士を生きる爆弾として消耗するような状況に追いやられた段階で敗北を認めるべきだ。どうしても決行すべきだとするなら、指導者自らが率先して範をとるべき。
自分たち指導者だけが生き残って神風攻撃を命じた当時の参謀本部は、恥さらし以外の何者でもない。
更に言うなら、神風攻撃は攻撃としてはあまり成功率の高いものではなく、アメリカ軍の侵攻を止めることは出来なかったことは厳然たる事実だ。なお悪いことに、神風攻撃はアメリカ側を恐怖に落とし込め、日本を話し合いの出来る相手ではないと認識させてしまった。
誰が狂人相手に話し合いが成立すると思うだろうか。
結果としてアメリカは仮借なき戦法を取らざるえず、日本軍だけでなく日本国民全体を狂気の戦士とみなして絨毯爆撃や、原爆投下により徹底的な殲滅を目指すに至らしめた。
私としては、神風攻撃作戦は失敗だと言わざる得ない。個人の覚悟は尊敬に値するとしても、それを命じた指導者たちには醜悪さを感じざるえないのだ。
表題の本の著者、城山三郎はさりげなく書く。最初の神風攻撃の指揮官の母親が、戦後慰霊碑を建ててもらった際、その式典に神風攻撃の命名者である源田実が出席すると知り、参列を断ったことを。
当然であろう。
太平洋戦争時、日本はさまざまな愚行を犯したが、その最たるものが神風攻撃であった。敗北を認識し覚悟することができなかった愚か者の決断が、多くの有為の若者を戦場に散らす羽目に陥った。
命を賭けて守るべきものを守らんと戦場に散った若者はいざしらず、彼らを死地に追いやった戦争指導者の愚かさは断固として美化されるべきではない。
負けを認め、次を考えて優秀な若者を残すことを考えるのが年長者の務めであろう。それが出来ずに若者をむざむざ死地に追いやって、しかもぬけぬけと生き延びた戦争指導者たちに名誉は必要ない。
その醜く愚かな戦争指導者と若手兵士の間に立つ現場指揮官たちに着目して書かれたのが表題の作品です。最初に神風作戦を敢行した指揮官と、最後の最後に敢行せざるえなかった指揮官の対照的な生き様。興味がありましたら是非どうぞ。
だけど、それは自らの覚悟の下に自発的になされるべきで、他者に強要されるものであってはならないと思う。いわんや相手が否定することの出来ない状況に追いやってから、上司の立場で部下に強要するなんて醜悪であり、卑怯の誹りを免れえぬものだと思う。
おそらくは、最初の神風攻撃は偶然の産物であろう。爆弾を投下するつもりで敵艦を攻撃せんとしたものの、機体の故障で投下できず、遂には被弾して帰還も叶わぬ。瞼に浮かぶ愛する家族を守るため、仲間を助けるため、母国を守るため自分に出来うる最上の手段として、爆弾を抱えたまま敵艦に体当たりをかけた。
敢えて言うが、別に日本人だけの特別な行為ではない。人類の歴史上、少なからぬ兵士たちが戦場で敵を倒すため、敢えて自身の命を投げ打って戦場に散ることは珍しくない。
違和感を持つ人も多かろう。どんなに惨めでも、無様であっても生きて還ることにこそ至上の価値観を見出す人もいるはずだ。死して国を守ったと褒められ讃えられようと、生きて還って欲しかったとの想いは家族なら当然だと思う。
それでも、自らの命をもって仲間を、家族を、郷里を、国家を守る行為には尊ぶべき偉業として讃えられることは必然でもある。
しかしながら、神風攻撃を作戦として公に行うことは同じではない。そもそも自爆攻撃なんてものは、取るべき戦術としては最も愚かしいものである。多大な時間と予算をかけて育成した兵士を、むざむざ死なせるような作戦は、自滅行為であり、自損行為でもある。
敢えて断言したい。真っ当な指導者ならば、自らの兵士を生きる爆弾として消耗するような状況に追いやられた段階で敗北を認めるべきだ。どうしても決行すべきだとするなら、指導者自らが率先して範をとるべき。
自分たち指導者だけが生き残って神風攻撃を命じた当時の参謀本部は、恥さらし以外の何者でもない。
更に言うなら、神風攻撃は攻撃としてはあまり成功率の高いものではなく、アメリカ軍の侵攻を止めることは出来なかったことは厳然たる事実だ。なお悪いことに、神風攻撃はアメリカ側を恐怖に落とし込め、日本を話し合いの出来る相手ではないと認識させてしまった。
誰が狂人相手に話し合いが成立すると思うだろうか。
結果としてアメリカは仮借なき戦法を取らざるえず、日本軍だけでなく日本国民全体を狂気の戦士とみなして絨毯爆撃や、原爆投下により徹底的な殲滅を目指すに至らしめた。
私としては、神風攻撃作戦は失敗だと言わざる得ない。個人の覚悟は尊敬に値するとしても、それを命じた指導者たちには醜悪さを感じざるえないのだ。
表題の本の著者、城山三郎はさりげなく書く。最初の神風攻撃の指揮官の母親が、戦後慰霊碑を建ててもらった際、その式典に神風攻撃の命名者である源田実が出席すると知り、参列を断ったことを。
当然であろう。
太平洋戦争時、日本はさまざまな愚行を犯したが、その最たるものが神風攻撃であった。敗北を認識し覚悟することができなかった愚か者の決断が、多くの有為の若者を戦場に散らす羽目に陥った。
命を賭けて守るべきものを守らんと戦場に散った若者はいざしらず、彼らを死地に追いやった戦争指導者の愚かさは断固として美化されるべきではない。
負けを認め、次を考えて優秀な若者を残すことを考えるのが年長者の務めであろう。それが出来ずに若者をむざむざ死地に追いやって、しかもぬけぬけと生き延びた戦争指導者たちに名誉は必要ない。
その醜く愚かな戦争指導者と若手兵士の間に立つ現場指揮官たちに着目して書かれたのが表題の作品です。最初に神風作戦を敢行した指揮官と、最後の最後に敢行せざるえなかった指揮官の対照的な生き様。興味がありましたら是非どうぞ。