ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

避暑地の猫 宮本輝

2009-09-07 12:26:00 | 
誰でも短所と長所を持ち合わせているものだ。

多くの場合、短所と長所は裏腹な関係であることが多い。私はいろいろと短所の多い人間だが、私の考える長所の一つは「公平」であることだ。これは願望でもあり、常にそうありたいと心がけている。

その根っ子にあるのは、幼い頃の人種差別の体験である。また、ろくでもない教師たちとの出会いから学んだものでもある。

そして足りないものがある。それが嫉妬だ。どうも私は良くも悪くも嫉妬心が薄いらしい。

最近、格差社会という言葉が飛び交っているが、私の子供の頃だって格差はあった。持てるものと持たざるものの格差は絶望的なほど大きく思えた。

離別した父の実家は資産家だったと思う。立派な門構えや大きな屋敷、綺麗な日本庭園などをかすかに覚えている。行く時はいつも蝶ネクタイをつけてブレザーを着させられるのが面倒だった。なによりくつろげなかった。

離別後に一時同居することになった母方の実家は、普通のサラリーマン家庭であり、裕福さは感じなかったが、おじいちゃん、おばあちゃんの元で私たちはくつろげた。

その後、母が入居した公務員宿舎は狭いながらも馴染みやすい家だった。父方の豪邸よりも、この狭い我が家のほうが私ははるかに好きだった。

そんな生い立ちのせいか、私には金持ちに対する嫉妬心が薄い。ないわけではないが、物質的な贅沢よりも精神的な満足感を重視する傾向が強い。今でも豪華な内装のホテルやレストランよりも、カウンターから厨房が覗けて、料理人が調理する姿がみえるような居酒屋や割烹のほうがくつろげる。

もちろん金は大事だ。金に余裕がないと、心に余裕がもてなくなるのは否定しがたい現実だ。それでも私は物質的な豊かさに対して過度な羨望は持ち合わせていなかった。

これは美徳かもしれないが、反面普通の人が持つ豊かさへの憧れや、妬みなどへの理解が薄かったのも事実で、そのせいで若い頃読んでも、あまりピンとこない本はけっこうあったと思う。また嫉妬心は向上心へとつながることも多い。単純にマイナスの感情で終わるとは限らないのが嫉妬心だ。成り上がるには嫉妬心は必要不可欠だとも思う。

嫉妬心が薄いといっても、それが性愛に絡むと私も人並みに嫉妬深くなる。ある女性に言わせると、それでも人より鈍感であるらしいが、この情愛にからむ嫉妬心の根深さやおどおどしさには私なりに苦しんだものだ。

幸い、私がこの嫉妬心に苦しめられたのは20代を半ば過ぎてからなので、比較的鷹揚に対応できた。もしこれが十代の前半であったとしたならば、いったいどれほど苦しんだのか想像を絶する。

そんな苦しみを描いたのが表題の作品だ。軽井沢の別荘を預る番人夫婦の子であるがゆえに、幼き時から貧富の格差を見せ付けられる。それだけならまだしも美しい母と、美しく育つ姉を持つが故に苦しまねばならぬ不条理。

知りたいけれど、分りたくない。知らねば良かったのだろうけれど、知らずにはいられない恐ろしい真実。知ってしまったがゆえに、狂気の淵を彷徨う苦悩。

避暑地に繰り広げられる濃厚な欲望の曼荼羅図は、少年を狂気に追いやらずにはいられなかった。

もし私が十代の頃にこの本を読んだのならば、これほど感銘を受けることはなかったと思う。子供には絶対に知らせないほうがいいことって、絶対にあると思う。この本を読んでつくづくそう確信しましたね。
コメント
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