日曜日のTVはツマラナイ。
今でこそTVはほとんど観ないが、子供の頃は当然にテレビっ子であった。しかし、日曜日の午後は面白い番組は少なかった。競馬だのゴルフだのは、家でゴロゴロしていたい大人の男性にはいいのかもしれないが、子供には退屈そのものだ。
で、夕方になると定番のようにアニメ「さざえさん」が始まる。穏やかな歌声で「お魚咥えたドラネコ、追いかけて~♪・・・」とテーマソングが流れ出すと、子供たちはTVの前に集まったものだ。
ただ、私はあまり好きでなかった。嫌いとは言わないが、積極的に観たいとは思っていなかった。ただ、他に見るべき番組がなかったので、やむを得ず観ていた。
やがて読書に夢中になるようになると、TVは妹たちに任せて、私はベッドで寝転んで本を読むようになった。そんな訳で、国民的アニメと言われた「さざえさん」はあまり観ていない。
では、原作の漫画は?これはほとんどお医者さんの待合室で読んだと思う。医者に行くのが好きだったわけではないのと同様、漫画で読む「さざえさん」も好きではないが、時間潰しに役立った程度の印象しかない。実際、覚えているエピソードがほとんどない。
別に確認をとったわけでもないのだが、あの頃好きな漫画に「さざえさん」を挙げる子供ってどれだけいたのだろう。多分、多くはなかったのではないかと思う。
強いて言えば、家族で安心して観ていられる漫画であることにこそ、意義があったのではないか。家族=安心といった枠にはまった漫画、それが「さざえさん」であったと思う。
実のところ、家族は常に変化する。子供は大きくなり、いつまでも子供のままではいてくれない。夫は地位が上がるにつれ家庭での役割を減じ、妻は家庭での役割に不安と不満を感じざるえない。
それでも家族にとって家庭は安心して帰れる場所であって欲しい。現実とは裏腹な理想を体現した漫画、それが「さざえさん」であった。だからこそ長く続いたのだと思う。
今でこそTVはほとんど観ないが、子供の頃は当然にテレビっ子であった。しかし、日曜日の午後は面白い番組は少なかった。競馬だのゴルフだのは、家でゴロゴロしていたい大人の男性にはいいのかもしれないが、子供には退屈そのものだ。
で、夕方になると定番のようにアニメ「さざえさん」が始まる。穏やかな歌声で「お魚咥えたドラネコ、追いかけて~♪・・・」とテーマソングが流れ出すと、子供たちはTVの前に集まったものだ。
ただ、私はあまり好きでなかった。嫌いとは言わないが、積極的に観たいとは思っていなかった。ただ、他に見るべき番組がなかったので、やむを得ず観ていた。
やがて読書に夢中になるようになると、TVは妹たちに任せて、私はベッドで寝転んで本を読むようになった。そんな訳で、国民的アニメと言われた「さざえさん」はあまり観ていない。
では、原作の漫画は?これはほとんどお医者さんの待合室で読んだと思う。医者に行くのが好きだったわけではないのと同様、漫画で読む「さざえさん」も好きではないが、時間潰しに役立った程度の印象しかない。実際、覚えているエピソードがほとんどない。
別に確認をとったわけでもないのだが、あの頃好きな漫画に「さざえさん」を挙げる子供ってどれだけいたのだろう。多分、多くはなかったのではないかと思う。
強いて言えば、家族で安心して観ていられる漫画であることにこそ、意義があったのではないか。家族=安心といった枠にはまった漫画、それが「さざえさん」であったと思う。
実のところ、家族は常に変化する。子供は大きくなり、いつまでも子供のままではいてくれない。夫は地位が上がるにつれ家庭での役割を減じ、妻は家庭での役割に不安と不満を感じざるえない。
それでも家族にとって家庭は安心して帰れる場所であって欲しい。現実とは裏腹な理想を体現した漫画、それが「さざえさん」であった。だからこそ長く続いたのだと思う。