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ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

黒部の羆 真保裕一

2009-10-09 17:00:00 | 
自然の厳しさは、弱い自分を隠すことを許さない。

どんよりした曇り空は気持ちを沈みこませ、暗い憂鬱な自分を暴け出す。冷たい雨は体力を徐々に奪い、弱気な自分が顔を覗かす。全身を覆う雨具は、身体を蒸すばかりで、不快な汗の臭いが気持ちまで腐す。

せっかくテントに入っても、隅っこで膝を抱えて黙り込み、なんでこんなところに来たのだろうと自問自答を繰り返す。自己嫌悪の迷路に入り込み、つまらぬことに苛立つ。

その癖、自分から動こうとせずに、黙り込んでいるばかり。指示されて、嫌々動き出すから、些細なミスを繰り返す。会話のなかに入ることも出来ず、テントをなかを照らすキャンドルの炎を見つめて、口にでるのはため息ばかり。

自分がこれほど情けない人間だとは思いもしなかった。惨めで、矮小で、貧弱な自分を知ってなお更落ち込む。自然は人間に優しいとは限らない。自然の厳しさは、弱い自分をむき出しにする。

だが、何度も山に登り、上級生となり、後輩を持つようになると自然と気がつく。自分だけじゃない。誰もが厳しい自然の洗礼に曝されると、隠していた貧弱な本性をむき出しにすることを。

そして見落としていたことにも気がつかされる。冷たい雨に身体を弱らせ、疲労に縛られて重くなった身体でありながら、笑顔で皆を励ます奴がいることを。面倒臭い雑用を進んで引き受け、疲れ果てた身体に鞭打って頑張れる奴がいたことを。

嫉妬すら感じる逞しさと優しさ。それでも憧れた。自分もそんな人間になりたかった。自分の弱さを知ってこそ気がつく、本当の優しさと強さ。

憧れ、追いつきたくて山に登っていた。山は人生の学校だった。自らを鍛え上げる試練の場であった。

表題の作品は、文庫版「灰色の北壁」に納められています。嫉妬や羨望、挫折した野望と失われた恋情にあがく若者が、厳しい山のなかで、新たなる人生の指針に気がつく様が爽快な快作だと思います。

難病で山を奪われた私には、二度と手に届かぬ世界。既に覚悟を決めているので後悔はしていませんが、それでも憧憬を消し去ることは出来ません。短編なので、是非とも読んで欲しいと思います。
コメント (2)
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