ヌマンタの書斎

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税法なんて その五

2010-09-01 18:27:00 | 経済・金融・税制
民法というものは慣習法だ。常識を明文化したものだと言ってもいい。しかし、税法は違う。

まず先に経済行為がある。その結果を受けて、そこにどう所得を認識して課税するかの手続法なのだ。

そして、経済というものは生き物だ。時代と共に変る。技術の変化、貿易環境の変化、人や家族の変化に応じて経済活動は日々変化する。

所得(利益)に対して課税することを原則とする以上、その所得が如何に獲得されたものかにより課税方法が決まる。税法があって経済行為があるのではない。税法がなくても経済行為はある。

経済の動きは30年前に比べて飛躍的に複雑化している。農業主体から商業の発展と工業の隆盛まででさえ、税法は随分と変わった。会計方法すら変った。

以前は、税法と会計との意見調整が明文化されていた。なんとか折り合いをつけようと会計学者や税法学者、大蔵省が折衝を続けて、理論に整合性を持たせていた。これは会計法規集に「連続意見書」として記載されている。

しかし、バブル経済の頃からだろうか。とりわけ海外からの資本が大きく国内経済に影響を与えるようになると、その意見調整は不可能となった。とりわけ国際的な経済環境の整備要求が絶望的なまでに従来の体制に影響を与えた。

具体例を挙げれば、株式市場における国際会計基準の適用などだろう。これらの経済環境の著しい変化は、国内法である税法にある種の絶望感を与えた。

その結果、会計と税法が切り離された。かつては資本と利益は厳密に区分された。しかし国際会計基準の導入と大幅な会社法改正は、その区分を曖昧にした。一方、税法は現在もこの区分を厳密に守っている。もはや調整は不可能だといっていい。

相次ぐ経済環境の変化に税法の対応は後手後手に回らざる得なかった。抜本的改正が必要なのは財務省も分っていた。しかし、これには如何に強大な権限を持つ霞ヶ関でも単独では無理だ。やはり永田町の強力な指導が必要だった。

私の目から見て、彼らは努力したと思う。思うが、結果的に小手先の改正に終わったことも事実だ。やはり抜本的な大改正をするだけの気概に欠けた。経済の現場を知らぬ彼らは、その必然性に対する緊迫感を持ち合わせていなかったと思う。

困ったのは税務の最前線で働く人間たちだ。前例がない新しい経済行為から生じる課税問題へ、どう対処したらよいか分らない。この場合、人は官僚に限らず保守的な態度に逃げ込むものだ。つまり前例踏襲であり、前例がなければ似たような事例に当てはめてしまう。

この典型がストック・オプション課税だった。

霞ヶ関のエリートさんたちは、力ずくでこの事態を押し切ろうと図った。しかし、彼らは既に黒船(外資)が日本に上陸していたことを失念していた。いや、侮っていたと思う。

その結果、全国で100件を超すといわれたストック・オプション訴訟であった。東京地裁3部の暗躍(?)もあって、税務の現場は大混乱に陥った。

黒船(外資)は準備周到であった。既に航空機リース事件で先勝している。彼らは日本の税法を緻密に分析して、その穴を見つけ出して、合法的な脱税行為を編み出していた。もちろん、税務訴訟に持ち込むことも想定した上での戦略だった。

日本の国内企業なら、国税局は脅して宥めて曖昧に処理することが可能だった。しかし、海外の富裕層を株主や出資者としている外資には、日本的な曖昧な処理など通るはずもなく、国税局は訴訟の増加に怖気づいた。

困ったことに、財務省は海外から人と資本の導入を既定路線として定めている。会社法の大改正により、従来の商法とは大きく異なる事態が、国税当局を萎縮させた。

その結果、税法はおそろしく細かく規定されるようになった。厳密な要件が付されて、おそろしく使い勝手の悪い特例が続出した。一見すると納税者に役立つはずの特例が、あまりに細かく(しかも現実離れした)制約をつけたがゆえに、合法的節税すら難しくしてしまった。これでは何のために特例が設けられたのか分らない。

詳細に制約を付けること自体は否定しないが、その制約が非現実的なのは税法の立法に携わるエリート官僚たちが、経済の現場に疎い(これは昔からだが)だけでなく、下級職の官僚たちとの非公式な会合(官官接待ってやつね)を失ったために、法案の欠点を指摘される機会を喪失したことも大きく影響している。

改めて指摘させてもらうが、上司(エリート官僚)のミスを堂々公式な場(会議室)で指摘する部下(下級職の官僚)なんて居るわけない。だからこそ、昔は非公式な会議の場(飲食接待)があった。これを世間知らずのバカが、税金で接待なんてするなと禁止した。

官官接待を安直に批判した善良なるバカどもにはおおいに反省してもらいたいものだ。おかげで、やたらと難しいだけでなく、細かすぎて使いづらい間抜けな法案が数多、国会を素通りしている惨状なのだ。

これは税法に限らない。例えば建築基準法の改正は、あくまで構造計算の不正を防ぐ目的で行われた。それはよし。しかし、現場との意見調整を欠き、実務的運用を考慮しなかった粗雑な法案であったため、受注はあっても建てられない建築不況を呼び込んだ。

本来は、低迷する国民の暮らしに役立つはずだった特例法案が、あまりに難しくて使いにくいとは何たることか。しかも、その特例についての質問の機会を制限しておきながら、電子申告の普及にご協力をだと?

ふざけるな!

長々と書いてきましたが、国家は税収あってこそ運営されます。その税収の方法があまりに複雑で難解であることがいいことだとは思えません。

私は税金に無知な国会議員の存在を許せないと考えています。税金をばら撒くことを一概に否定はしませんが、その税金がいかに徴収(もちろん税法により)されているのか、その実態を分った上で所得の再分配(たとえばら撒きと揶揄されようと)をして欲しいものです。
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