ヌマンタの書斎

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民主党党首選挙に思うこと

2010-09-08 12:22:00 | 社会・政治・一般
過半数を握る必要はない。四分の一を占めればいい。

多数決原理を政治決着の方法とする議会政治では、過半数を握れば良いとされる。だが、現実には多数を占めた側の半数を握れば主導権は握れる。

多数を占めた側は、その絶対的な優位を失いたくはない。だからこそ、過半数の側の半数が離脱を武器に主導権を握ることが出来る。その意味で民主党の小沢の採った戦術は、極めて有効だといわざる得ない。

実際問題、半世紀にわたり日本の政治を支配した自民党政治は、過半数のなかの勢力争いこそが肝だった。そのなかで権力を握ることの大切さを痛いほどに認識していた小沢一郎が、民主党でも同様な手法を取ることはある意味当然なのだろう。

むしろ与党であることに安住して、党内の権力闘争に積極的でなかった方こそ、政治家としての闘争力に欠ける。このあたりの認識と覚悟が市民派といわれる政治家には足りない。

だからこそ、冷や飯くらっていた小沢一郎の逆襲に慌てふためいた。

政治家にとって選挙こそ花舞台。ここで花開いてこそ、芳醇な果実を味わえる。党内で選挙をやれば、党の結束が乱れて混迷するだぁ?

甘ったれるなと云いたい。自民党が党内に幾つもの派閥を抱え、何度となく党首選挙で苛烈な戦いをしながらも、長年にわたり与党であったことを忘れるな。そりゃ、選挙で争えばしこりは残ることもあるだろう。負ければ冷や飯、勝てば官軍の厳しさもあるだろう。

それでも権力の座を巡り選挙を恐れず、闘い続けたからこそ自民党総裁は強く鍛えられた。このあたりが、組合に抱えられた左派政治家や、移り気な市民運動をバックにした市民派政治家とは異なる。

冷静に外野から見れば、自らの失態で権力の中枢から引き摺り下ろされた小沢は、まだ暫くは冷や飯を食うべきであった。先の参議院選挙の敗北の原因の一つは、小沢の資金問題であることは間違いのない事実だ。もちろん鳩ポッポの情けなさや、多数派を無視して少数意見に媚び売ったつけが敗因でもある。

その敗因の主役の一人が、ぬけぬけと民主党党首選挙に出馬しようとするなんて、恥知らずにもほどがある。ほとんどの国民はそう思っていることは、マスコミの世論操作(民主党政権のために小沢を排除したい)を抜きにしても、ほぼ間違いのない事実だろう。

しかし、強欲な政治家らしく権力に固執する小沢は違う。このしぶとさは、自民党を離れ、時には少数野党の悲哀を味わった苦労から育まれたものであろうことは、想像に難くない。やはり権力中枢に席を置いてこその政治家人生だ。

議会政治においては、数こそ力。政党内闘争にではなく、生活に密着した政治にこそ目を向けて欲しい気持ちは分るが、政治家にとって、国民の意向なんざ、後でどうにでもなるもの。

まずは自身の権力確保、これこそが第一。どうせ国民なんざ民主党の内部においてなにがあったかなんて、一年後には忘れているでしょうからね。

再度言い放ちますが、政権内部の権力闘争に国民の視点なんざ不要。まずは勝つことが一番であり、国民なんざそのあとで宥めりゃいい。

ただ興味深いことに、このような内部の権力争いの最中にこそ、日頃口にしない本音が漏れることがある。既に幾つか気になる発言が出ています。

国民不在の権力争いに関心は持ちにくいと思いますが、その中味は注視しておくと面白いですよ。まぁ、不快な事実を見せ付けられることも多いのですがね。
コメント
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