おかしな、おかしな民法。
私の本分は、税法の専門家であることだ。もっとも実務の上では商法(会社法)と民法を知らないでいられないことが多い。ところが、この民法って奴には随分と悩むことが多い。
いや、民法自体はそれほど難しいものではない。はっきり言えば、高卒程度の学力でも読めば分る。
だが、分るからといって納得できる訳ではない。いろいろ思うところがあるので、またまた数回に分けて、あれこれ書き散らかしたいと思います。
ところで、民法とは本来、その国、社会における生活慣習から成立し明文化されたものだ。だから日頃、なにをするにしても、それが民法にのっとったものであるかどうか、なんて気に留めない。
つまり常識を書き取ったものが民法なのです。民法を知らなくても契約はできるし、貸した金は返ってくる。民法は日頃、意識されることない法律なのです。
しかし、時と場合によっては民法は我々の生活、人生に強い影響を与えるのです。これが常識?と疑問に思うことが少なくないのが民法。
たとえば、あるところに若くして夫に先立たれた女性がいました。彼女は女手一つで子供たちを育て上げました。子供たちは無事に育ち、社会に出て一人前の地位を得た頃には、女性も退職して悠々自適の毎日。
そんな彼女が恋をした。これまで散々再婚の話を断ってきたのに、突如子供たちの前で再婚を宣言したのです。子供たちは戸惑いつつも、大きな声で反対することも出来ず、あっという間の入籍でした。
その半年後に突如、女性は死去されました。
さて、そこから巻き起こったのが相続問題。現在の民法では、配偶者に対して二分の一の相続権を認めています。子供たちは憮然とした気持ちを抑えられません。長年母と共に暮らした家は、ほとんど見ず知らずの男性のものとなり、もらえるはずだった遺産は半分になってしまったのです。
一方、男性の方はわずか半年あまりの婚姻生活で、住まいと少なからぬ預貯金を手に入れました。仕事らしい仕事をもっていなかった男性にとっては、絶対に逃したくない遺産です。
民法は配偶者への二分の一の権利を保証しています。しかし、これは長年連れ添ったことに対するものであることは、立法主義に照らして明らかなのです。果たして、このような保証は常識にのっとったものだと言えるでしょうか。
敢えて言わせてもらえば、法定相続分って奴は正義でもなければ倫理でもない。現実を無視した理想を正当化しただけの代物です。
容易に想像がつくと思いますが、この相続はもめました。実は遺言が残されていたのですが、民法の法定相続分をたてに、遺言には従わぬ相続を主張する相続人たちが混乱に拍車をかけました。結局、裁判所と弁護士の仲介が入っての和解となりました。でも、誰一人満足のいく結論でなかったことも確かでした。
もし、この話が若い後妻を迎えた男性の死去と相続だったら、どうでしょうか?いささか印象は異なるかもしれません。ですが、民法が強制的に相続分を保証していることの歪みがあると感じるのは、決して私だけではないと思います。
自分が築き上げた財産が、自分の死後どうなるか。誰もが関心を持つ問題だと思いますが、日本では法定相続分により拘束がかかっているので、遺言でさえ十分役にたちません。
自分の死後、配偶者や子供たちに禍根を残すような相続を誰が望むのでしょうか。
この問題の下地になっているのは、我が国の民法が、本当に日本の社会の常識から成り立っているのか、どうかにあると思います。社会も、常識も時代により変化するのですが、民法は果たして、その変化に対応しているのか。もっといえば、立法府(国会)がその役割を十分果たしているのか、の問題でもあります。
私は相続に関しては、もう少し故人の意思が尊重されるべきだと思います。しかし、現行の民法はそれを許さない。絶対的な正解がないことは分っていますが、もう少し社会や家族の変化を考慮した法律になって欲しいものです。
私の本分は、税法の専門家であることだ。もっとも実務の上では商法(会社法)と民法を知らないでいられないことが多い。ところが、この民法って奴には随分と悩むことが多い。
いや、民法自体はそれほど難しいものではない。はっきり言えば、高卒程度の学力でも読めば分る。
だが、分るからといって納得できる訳ではない。いろいろ思うところがあるので、またまた数回に分けて、あれこれ書き散らかしたいと思います。
ところで、民法とは本来、その国、社会における生活慣習から成立し明文化されたものだ。だから日頃、なにをするにしても、それが民法にのっとったものであるかどうか、なんて気に留めない。
つまり常識を書き取ったものが民法なのです。民法を知らなくても契約はできるし、貸した金は返ってくる。民法は日頃、意識されることない法律なのです。
しかし、時と場合によっては民法は我々の生活、人生に強い影響を与えるのです。これが常識?と疑問に思うことが少なくないのが民法。
たとえば、あるところに若くして夫に先立たれた女性がいました。彼女は女手一つで子供たちを育て上げました。子供たちは無事に育ち、社会に出て一人前の地位を得た頃には、女性も退職して悠々自適の毎日。
そんな彼女が恋をした。これまで散々再婚の話を断ってきたのに、突如子供たちの前で再婚を宣言したのです。子供たちは戸惑いつつも、大きな声で反対することも出来ず、あっという間の入籍でした。
その半年後に突如、女性は死去されました。
さて、そこから巻き起こったのが相続問題。現在の民法では、配偶者に対して二分の一の相続権を認めています。子供たちは憮然とした気持ちを抑えられません。長年母と共に暮らした家は、ほとんど見ず知らずの男性のものとなり、もらえるはずだった遺産は半分になってしまったのです。
一方、男性の方はわずか半年あまりの婚姻生活で、住まいと少なからぬ預貯金を手に入れました。仕事らしい仕事をもっていなかった男性にとっては、絶対に逃したくない遺産です。
民法は配偶者への二分の一の権利を保証しています。しかし、これは長年連れ添ったことに対するものであることは、立法主義に照らして明らかなのです。果たして、このような保証は常識にのっとったものだと言えるでしょうか。
敢えて言わせてもらえば、法定相続分って奴は正義でもなければ倫理でもない。現実を無視した理想を正当化しただけの代物です。
容易に想像がつくと思いますが、この相続はもめました。実は遺言が残されていたのですが、民法の法定相続分をたてに、遺言には従わぬ相続を主張する相続人たちが混乱に拍車をかけました。結局、裁判所と弁護士の仲介が入っての和解となりました。でも、誰一人満足のいく結論でなかったことも確かでした。
もし、この話が若い後妻を迎えた男性の死去と相続だったら、どうでしょうか?いささか印象は異なるかもしれません。ですが、民法が強制的に相続分を保証していることの歪みがあると感じるのは、決して私だけではないと思います。
自分が築き上げた財産が、自分の死後どうなるか。誰もが関心を持つ問題だと思いますが、日本では法定相続分により拘束がかかっているので、遺言でさえ十分役にたちません。
自分の死後、配偶者や子供たちに禍根を残すような相続を誰が望むのでしょうか。
この問題の下地になっているのは、我が国の民法が、本当に日本の社会の常識から成り立っているのか、どうかにあると思います。社会も、常識も時代により変化するのですが、民法は果たして、その変化に対応しているのか。もっといえば、立法府(国会)がその役割を十分果たしているのか、の問題でもあります。
私は相続に関しては、もう少し故人の意思が尊重されるべきだと思います。しかし、現行の民法はそれを許さない。絶対的な正解がないことは分っていますが、もう少し社会や家族の変化を考慮した法律になって欲しいものです。