ヌマンタの書斎

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岸和田少年愚連隊 中場利一

2010-09-10 12:25:00 | 
とりあえず殴っておく。

喧嘩は先手必勝だ。武道の心得でもあれば、反撃も可能だろうが、子供の喧嘩に限っていえば最初の一発で全てが決まる。よほど体格差がない限り、この最初の一発が勝敗を分る。

もしかしたら女性にはピンとこないかもしれないが、これは殴られてみれば分る。殴られるのは、たいていが鼻っぱしらだ。あっというまに鼻血が出る。

実のところ、鼻血って奴はたいした被害ではない。服が汚れて、後で親に叱られるのが難点だが、出血したってそれほど痛いわけではない。

ただ、呼吸が苦しい。これが辛い。喧嘩って奴は、おそろしくスタミナを消費する。鼻で呼吸が出来ないのは、ものすごいハンデとなる。

でも、まあ、子供の喧嘩なんて短時間で終わる。鼻を殴られて、鼻血を出す最大のダメージは、むしろ心理面にこそある。ぶっちゃけ、頭に血が上って冷静に判断できなくなる。

殴った側からすれば、鼻血を出して激高した奴との喧嘩は、やりやすい。なにせ動きが単純化するので、動きが読みやすく、冷静にさばける。なかには意気消沈する奴もいる。こうなると、まな板の鯉をさばくようなものだ。いくらでも痛めつけられる。

だから喧嘩になりそうだと判断したら、まずなによりも殴っておく。ただ、私の場合、打撃はあまり上手くなかった。誰かを殴ろうとすると、どうしても腕を引いてタメを作ってから殴る。これではバレバレだ。

おまけに小柄なので、長身の相手だと顔面に届きづらい。そのため、まず低い姿勢から相手の腹に頭突きをかまし、相手が腹を抑えて体を九の字に曲げたところに、パンチをかましていた。

冷静に考えると、たいして強くないパンチよりも頭突きや膝蹴りを使った方が良かったと思う。当時はそんなこと考えずに、ただ殴ることだけに集中していた。だから喧嘩が弱かったのだろう。

さすがに十代半ばともなれば、自分が喧嘩に不向きというか、弱い現実が分る。むしろ自分に向いた闘い方というか生き方があると分り、そちらに方向転換をした。

大人になるにつれ、自分が前面に立って闘うよりも、集団を活用するとか、仲介者の立場にたって有利にことを進めるやり方のほうが自分に向いていると気がついた。この姿勢は今も変らない。

ただ、それでも喧嘩の強さには、ある種の憧れを禁じえない。

そんな訳で、この手の小説には目がない。ほぼ実話に基づく自伝だと思われるが、さすが岸和田。不良少年の鑑というか、あっぱれお見事である。

この手の暴れん坊が健在な限り日本はまだまだ大丈夫。私もそうだがお勉強エリートは、法制度とか組織に守られて生きているから、案外とひ弱い。本当の危機の際には役立たずであることが多い。

だが、この作者のような不良たちは自分の目で見て、身体で感じたことしか信じない。不器用な奴らだが、その生命力ははるかに逞しい。この手の不良が絶滅した時こそ、日本が滅びる時だと思うぞ。
コメント
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