ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

二十四の瞳 壺井栄

2010-10-04 12:24:00 | 
目頭が熱くなることを避けられない。

表題の作品を読んだことはなくても、映画やTVドラマなどで観たことがないなんて人は稀だろう。私は映像の記憶が鮮明すぎて、原作を読んだことがあるのかどうか記憶にない。

だから今回読んでみて、これが初読であることに気がついた。事前にあらすじが分っていながら、それでいて心が感動に揺れるのを抑え切れなかった。

私は平和を守るためには戦うことも必要だと確信している好戦的平和主義者だ。決して戦争を頭ごなしに否定するようなことはしない。戦争を必要悪だと卑下しているのではない。戦うべきときに、戦わないのは卑怯であり、戦わなければ守れないものがあると信じているだけだ。

だからといって、戦争がもたらす惨禍から目をそらすような卑怯なこともしたくない。愛する家族や大切な人を戦争に奪われる哀しみを、どうして無視できようか。

戦争がなければ磯吉が目を奪われることはなかっただろう。戦争があったからこそ富士子は身を売らねばならなかったのだろう。戦争がもたらす悲劇は、生き残った人たちの心の中に深い傷跡を残す。

なればこそ、戦争が再び起らないよう、生き残った人たちは努力すべきだ。その努力はテルテル坊主(憲法9条)を崇拝することでもなく、自国を卑下することでもなく、外国の横暴に媚びへつらうことでもない。

大切な人たちを再び戦場に送るようなことにならないよう、現実に友好な方策を練り、それを実施することだ。時には妥協も必要だろうが、大事なものを守るために断固たる姿勢をとることだって必要だ。

大切なものを自ら守る意思がないものが、大切なものを奪われるのは必然であるに過ぎない。そのための手段として軍隊があり、諜報機関がある。綺麗ごとだけでは大切なものは守れない。

表題の作品には戦場は描かれない。戦場から遠く離れた長閑な村を舞台にしているにもかかわらず、戦争が招く悲惨さを心に刻み込む名作だ。この悲惨さを再び招かないためにも、現実的な平和を求める努力を怠らずにいて欲しいものです。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする