ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

小沢一郎は有罪か?

2010-10-21 12:33:00 | 社会・政治・一般
小沢一郎は無罪だ。

はっきり言って好きじゃない。マスコミは豪腕政治家だというが、私に言わせれば強欲政治家に過ぎない。世評では選挙に強いというが、強いのは権勢欲であって人心を読むのに疎く、むしろ有権者には媚び笑いで十分だと唾棄している感が強い。

さすがに金を潤沢にばら撒くだけのことはあるから、先の民主党党首選挙において国会議員票は半数近く集めた。でも、金をばら撒きにくい党員やサポーターから票を得られずに負けた。選挙に強いが聞いて呆れる。

アメリカに潰された田中角栄の直弟子だけに反米感情が強いのはともかく、韓国や中国に媚びてまでして歓心を買おうとする下種な性分にはあきれ返るばかりだ。

だが、それでも敢えて言おう。小沢一郎に対する検察審議会の起訴議決は間違っていると。

少なくても現行法では、彼の罪を立証することはできない。あれは明らかに法の抜け道を活用した錬金術であるからだ。だからこそ検察庁は過去において起訴を断念せざる得なかった。

しかし世間一般の常識は違う。その一般庶民の疑いの気持ちに応えた検察審議会を賛美する声があるが、如何なものかと思う。本当におかしいと思うのならば、まず政治資金規正法の改正こそ先決であろう。

つまり検察という行政機関の問題ではなく、立法を担うはずの国会の怠惰こそが問われるべきなのだ。人格なき社団である政治団体を利用しての不動産売買を通じた政治資金調達なんて手法は、現行の政治資金規正法では罪を問えない。

なればこそ、その法律の改正こそが政府の仕事であろう。法に予定されていなかった事態を、無理やりに法で罰することは、むしろ却って法治を危うくする。いったい、マスコミや善良なる一般庶民諸氏らは、独裁政治を望んでいるのか?

このような安直な正義志向こそが、民主主義の最大の欠点だ。なんのための三権分立か、よくよく考えて欲しいものだ。批難されるべきは、やるべき仕事を放置している立法府であるはず。

そして、法治を損なうやり口を求めるマスコミと善良なる一般庶民もまた同類だと断じたい。正義を実現する、すなわち悪人を裁くのは法の定める道の下でなければならない。

法定外の方法を安直に求めると、いずれはその報いがもたらされる。いかにヒットラーが独裁者の道に駆け上がったのか、もう一度歴史を学んで欲しいものです。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする