真面目だけど不器用。
ニューヨークの帝王と呼ばれたブルーノ・サンマルチノが引退した後、敏腕プロモーター(興行主)として知られるビンス・マクマホンJRが選んだ後継者がボブ・バックランドだった。
金髪碧眼の白人青年であり、アマレスの出身、筋肉モリモリ、少し幼い顔立ちでハンサムには少し遠いが間違いなく善人顔だ。ベビー・フィス(善玉役)としては申し分のない素材であった。
だが、いつもどこか物足りなさが残るチャンピオンだった。観客が沸き立つような演技が苦手であったことが最大の原因だった。はっきり言えば真面目すぎる。
鉱山労働者上がりのサンマルチノと違い、世間の辛酸を舐めずにスポットライトを浴び続けた青年は、一足す一はニとしか計算できなかった。
これがサンマルチノだったら、足すだけでなく引いたり掛けたり応用が利いた。同じ善玉役を演じても、サンマルチノは感情表現豊かに、時には反則技をやり返してまでして闘った。観客がいつもフェア・プレーを求めている訳ではない現実を知っていたからだ。
ところが真面目一徹なバックランド青年は、一途なまでにフェア・プレーに拘った。正統なレスリングの選手としての矜持を捨てることは出来なかった。だから試合はいつも単調で盛り上がりに欠けた。
おそらくプロモーターからは、もっと観客を沸かせる試合をするように強く要請を受けていたはずだ。しかし、彼は応じなかった。
レスラーとして決して弱かったわけではない。だが凄みがなかった。彼は最後までスポーツマンであった。その矜持だけは断固として捨てなかった。
だから自然とチャンピオンの座を追われ、地方のドサ廻りにまわされた。プロレスラーとしては不遇であったと思う。だが、私の印象はこの地方のドサ廻り時代の試合のほうが印象が強い。
けち臭い、ちんけな地方の試合会場でも、バックランドは相変わらず正統派のレスリングを繰り返した。時にはパンチやらキックもどきをしていたが、それでも最後はレスリングに戻った。
王宮を追われた廃嫡王子であったが、最後まで王者の気概を忘れなかった。それゆえに忘れ難いレスラーでした。
ニューヨークの帝王と呼ばれたブルーノ・サンマルチノが引退した後、敏腕プロモーター(興行主)として知られるビンス・マクマホンJRが選んだ後継者がボブ・バックランドだった。
金髪碧眼の白人青年であり、アマレスの出身、筋肉モリモリ、少し幼い顔立ちでハンサムには少し遠いが間違いなく善人顔だ。ベビー・フィス(善玉役)としては申し分のない素材であった。
だが、いつもどこか物足りなさが残るチャンピオンだった。観客が沸き立つような演技が苦手であったことが最大の原因だった。はっきり言えば真面目すぎる。
鉱山労働者上がりのサンマルチノと違い、世間の辛酸を舐めずにスポットライトを浴び続けた青年は、一足す一はニとしか計算できなかった。
これがサンマルチノだったら、足すだけでなく引いたり掛けたり応用が利いた。同じ善玉役を演じても、サンマルチノは感情表現豊かに、時には反則技をやり返してまでして闘った。観客がいつもフェア・プレーを求めている訳ではない現実を知っていたからだ。
ところが真面目一徹なバックランド青年は、一途なまでにフェア・プレーに拘った。正統なレスリングの選手としての矜持を捨てることは出来なかった。だから試合はいつも単調で盛り上がりに欠けた。
おそらくプロモーターからは、もっと観客を沸かせる試合をするように強く要請を受けていたはずだ。しかし、彼は応じなかった。
レスラーとして決して弱かったわけではない。だが凄みがなかった。彼は最後までスポーツマンであった。その矜持だけは断固として捨てなかった。
だから自然とチャンピオンの座を追われ、地方のドサ廻りにまわされた。プロレスラーとしては不遇であったと思う。だが、私の印象はこの地方のドサ廻り時代の試合のほうが印象が強い。
けち臭い、ちんけな地方の試合会場でも、バックランドは相変わらず正統派のレスリングを繰り返した。時にはパンチやらキックもどきをしていたが、それでも最後はレスリングに戻った。
王宮を追われた廃嫡王子であったが、最後まで王者の気概を忘れなかった。それゆえに忘れ難いレスラーでした。
