民営化は正しいと断言できるのか?
アメリカでは政府支出の削減の一環として、刑務所が民営化されている。政府が運営するよりも効率的な経営が出来るとの触れ込みであった。
私はCS放送のディスカバリー・チャンネルで、その民営化された刑務所の実態を見ただけだが、かつて収監される囚人であふれていたはずの刑務所が見事に運営されている映像であった。
刑法の施行は本来、国家の下で管理されるべきだと思うので、軽い違和感は否めなかったが、新しい試みとして参考にはなると思っていた。
しかし、私の認識は甘かった。民間会社は利益追求を至高の目的とする。なんと現在、アメリカの刑務所がメキシコに移設されて運営されているという。このほうが支出を減らせる(つまり利益を生む)からだそうだが、これっておかしくないだろうか。
アメリカの国内法で裁かれ、その実施場所が国外となると、一体責任の所在はどうなるのだ?偏見かもしれないが、メキシコといえば役人の汚職と贈賄で知られた国だ。メキシコの国内法が適用される場所で、アメリカの刑務所が適切に運営されるのだろうか?
正直疑いを禁じえない。おそらく収監された囚人の多くはラテン系ではないかと想像できる。ろくに英語も話せない囚人を管理するのには、同じラテン系の刑務所職員が相応しいのかもしれない。だが、犯罪組織からの誘惑に耐えられるのか、私としては疑わざる得ない。
先に取り上げた民間軍事サービスを提供する会社も、この刑務所民営化と同じ路線で考案されたらしい。要するに役人に運営されると無駄な支出が多く、貴重な納税者の税金が無駄に使われる。だから、効率的な経営ができる民間会社に任せるのだという。
これは一面の事実だと思う。旧・国鉄の放漫経営を挙げるまでもなく、官僚組織というものはコスト意識が低く、無駄と非効率が目立つ。これを民営化して効率的な運営を目指すこと自体は間違いではない。
しかし、民営化にはもう一つの顔がある。それは国有資産の払い下げであることだ。国民の税金により購われた資産が、格安の値段で民間に払い下げられることは珍しくない。
敢えて言えば、戦前の日本の大財閥の大半が、この国有資産の払い下げで大きくなった。別に日本だけじゃない。アメリカでもロシアでもシナでも、どこの国でも当たり前のように権力者が、国有資産を親族や支援者に格安で譲ることをしている。
そして、この手の民営化は必ずしも民の役に立っているとは言い難い。多くの場合、民営化で得られた巨万の富みは、権力者たちの財布に入り、富める者と貧しき者との敷居を高くする。
もう忘れられた感があるが、旧・国鉄や電電公社の民営化だって酷いものだ。分割(企業価値は分散され、当然に価値は落ちる)されることが予定されている組織を、高値で国民に払い下げ(株式売買の形をとってはいるが)て、国民から富を吸い上げる手口の厭らしさ。一時値上げしてイイ思いをした国民もいるだろうが、大半の人は含み損を抱えて泣いているはずだ。
それでもJRやNTTは民間企業として、それなりに業績を上げているから、まだマシかもしれない。多くの場合、民営化は一部の金持ちを優遇し、多くの庶民を苦しめる。グローバリズムで経済を無茶苦茶にされた中南米の国々なんざ悲惨なものだ。
なにせ、水道事業や電気事業が民営化されて払い下げられ、しかる後に値上げが相次ぎ、水道料金を払えない貧困家庭の子供たちがドブ水を飲んで死ぬありさまだ。しかも、肝心の水道設備の整備などがおざなりにされる一方で、利益はしっかりと株主に配当される。利益追求を至高の目的とする民間企業に、社会的基盤設備を丸投げすることが正しいと言えるのか?
ところが、どうゆうわけか、マスコミや識者の論調は「民営化=正しい」といった基調で彩られている。しっかりと過去の事実を検証すべきだ。私は民営化による経営の効率化は、それが適切にされている限り正しいと思う。だから一概に否定はしない。でも、それが必ずしも国民を幸せにしていない現実も認識されるべきだと思う。
アメリカでは政府支出の削減の一環として、刑務所が民営化されている。政府が運営するよりも効率的な経営が出来るとの触れ込みであった。
私はCS放送のディスカバリー・チャンネルで、その民営化された刑務所の実態を見ただけだが、かつて収監される囚人であふれていたはずの刑務所が見事に運営されている映像であった。
刑法の施行は本来、国家の下で管理されるべきだと思うので、軽い違和感は否めなかったが、新しい試みとして参考にはなると思っていた。
しかし、私の認識は甘かった。民間会社は利益追求を至高の目的とする。なんと現在、アメリカの刑務所がメキシコに移設されて運営されているという。このほうが支出を減らせる(つまり利益を生む)からだそうだが、これっておかしくないだろうか。
アメリカの国内法で裁かれ、その実施場所が国外となると、一体責任の所在はどうなるのだ?偏見かもしれないが、メキシコといえば役人の汚職と贈賄で知られた国だ。メキシコの国内法が適用される場所で、アメリカの刑務所が適切に運営されるのだろうか?
正直疑いを禁じえない。おそらく収監された囚人の多くはラテン系ではないかと想像できる。ろくに英語も話せない囚人を管理するのには、同じラテン系の刑務所職員が相応しいのかもしれない。だが、犯罪組織からの誘惑に耐えられるのか、私としては疑わざる得ない。
先に取り上げた民間軍事サービスを提供する会社も、この刑務所民営化と同じ路線で考案されたらしい。要するに役人に運営されると無駄な支出が多く、貴重な納税者の税金が無駄に使われる。だから、効率的な経営ができる民間会社に任せるのだという。
これは一面の事実だと思う。旧・国鉄の放漫経営を挙げるまでもなく、官僚組織というものはコスト意識が低く、無駄と非効率が目立つ。これを民営化して効率的な運営を目指すこと自体は間違いではない。
しかし、民営化にはもう一つの顔がある。それは国有資産の払い下げであることだ。国民の税金により購われた資産が、格安の値段で民間に払い下げられることは珍しくない。
敢えて言えば、戦前の日本の大財閥の大半が、この国有資産の払い下げで大きくなった。別に日本だけじゃない。アメリカでもロシアでもシナでも、どこの国でも当たり前のように権力者が、国有資産を親族や支援者に格安で譲ることをしている。
そして、この手の民営化は必ずしも民の役に立っているとは言い難い。多くの場合、民営化で得られた巨万の富みは、権力者たちの財布に入り、富める者と貧しき者との敷居を高くする。
もう忘れられた感があるが、旧・国鉄や電電公社の民営化だって酷いものだ。分割(企業価値は分散され、当然に価値は落ちる)されることが予定されている組織を、高値で国民に払い下げ(株式売買の形をとってはいるが)て、国民から富を吸い上げる手口の厭らしさ。一時値上げしてイイ思いをした国民もいるだろうが、大半の人は含み損を抱えて泣いているはずだ。
それでもJRやNTTは民間企業として、それなりに業績を上げているから、まだマシかもしれない。多くの場合、民営化は一部の金持ちを優遇し、多くの庶民を苦しめる。グローバリズムで経済を無茶苦茶にされた中南米の国々なんざ悲惨なものだ。
なにせ、水道事業や電気事業が民営化されて払い下げられ、しかる後に値上げが相次ぎ、水道料金を払えない貧困家庭の子供たちがドブ水を飲んで死ぬありさまだ。しかも、肝心の水道設備の整備などがおざなりにされる一方で、利益はしっかりと株主に配当される。利益追求を至高の目的とする民間企業に、社会的基盤設備を丸投げすることが正しいと言えるのか?
ところが、どうゆうわけか、マスコミや識者の論調は「民営化=正しい」といった基調で彩られている。しっかりと過去の事実を検証すべきだ。私は民営化による経営の効率化は、それが適切にされている限り正しいと思う。だから一概に否定はしない。でも、それが必ずしも国民を幸せにしていない現実も認識されるべきだと思う。