忙しすぎて忘れていたが、先月の末でこのブログも7年を超えて8年目に突入してた。
よくぞ続いたものだとの感慨もあるが、正直言うと危機感の方が強い。なんとはなしにだが、記事の中身が薄っぺらになっている感が否めない。もっと云えば勉強不足、思索不足、推敲不足。
大きな原因の一つは不況だ。つまり売り上げが下がっているために、仕事を増やさざるを得ない。以前なら断っていた仕事も受けているし、新分野への開拓も既に始めている。労多くして、なかなか実りが上がらないのだが、攻めの経営なくして未来なしだと信じて奮闘している。
おかげで読書の時間を大きく削られている。必然的に考える時間さえ減っている。新聞を熟読する時間さえとれずにいる。以前からやっていた三紙(朝日、産経、日経)を比較しての時間なんか、とれるはずもなく、情報量に大きく不足を感じている有様だ。
もともとTVの前で、じっと座っているのが好きではない。仕方ないので映画を鑑賞する時間を増やすようにして、少しでも世間並みの情報量を確保したいと思っている。もちろん映画自体を楽しむことも大事だ。ただでさえ頭が疲弊しているので、娯楽映画に偏りがちだが、他に娯楽らしい趣味を持ち合わせていないので勘弁して欲しい。
実際問題、読書も娯楽ものに偏っている。どうしても気楽な趣味に走ってしまう。だから最近、新しい知識の発見に喜んだり、驚いたりする機会が減っている。これは結構寂しいものだ。
元々読書日記として始めたつもりで、気が付いたら目標の1000冊レビューも来年中には実現しそうだ。でも、中身が薄ければ価値のない数字になりそうで浮「。元々読書を数字で測る気はない。読んで、如何に心に残ったのがが大事だと考えている。
ここ二年ほど、どうしても趣味に走っているのは事実であり、このままでは1000冊なんて目標は意味のない数字合わせに過ぎなくなっている。これではいけないと思う。
世の中には、まだまだ私の知らない事、知るべき事、知っておいた方がイイことって数多あるはずだ。住み慣れた知識の枠に安住するのではなく、未知なる世界に足を踏み入れる気概こそが大切なもの。
この気概をなくした時こそが、人生からリタイアして引退生活に入るときだと信じている。
8年目に入りましたが、本読みとしての気概を新たにしたいと痛感しました。自戒の意味を込めて、新たに始めるつもりでこの先も頑張っていこうと思います。
よくぞ続いたものだとの感慨もあるが、正直言うと危機感の方が強い。なんとはなしにだが、記事の中身が薄っぺらになっている感が否めない。もっと云えば勉強不足、思索不足、推敲不足。
大きな原因の一つは不況だ。つまり売り上げが下がっているために、仕事を増やさざるを得ない。以前なら断っていた仕事も受けているし、新分野への開拓も既に始めている。労多くして、なかなか実りが上がらないのだが、攻めの経営なくして未来なしだと信じて奮闘している。
おかげで読書の時間を大きく削られている。必然的に考える時間さえ減っている。新聞を熟読する時間さえとれずにいる。以前からやっていた三紙(朝日、産経、日経)を比較しての時間なんか、とれるはずもなく、情報量に大きく不足を感じている有様だ。
もともとTVの前で、じっと座っているのが好きではない。仕方ないので映画を鑑賞する時間を増やすようにして、少しでも世間並みの情報量を確保したいと思っている。もちろん映画自体を楽しむことも大事だ。ただでさえ頭が疲弊しているので、娯楽映画に偏りがちだが、他に娯楽らしい趣味を持ち合わせていないので勘弁して欲しい。
実際問題、読書も娯楽ものに偏っている。どうしても気楽な趣味に走ってしまう。だから最近、新しい知識の発見に喜んだり、驚いたりする機会が減っている。これは結構寂しいものだ。
元々読書日記として始めたつもりで、気が付いたら目標の1000冊レビューも来年中には実現しそうだ。でも、中身が薄ければ価値のない数字になりそうで浮「。元々読書を数字で測る気はない。読んで、如何に心に残ったのがが大事だと考えている。
ここ二年ほど、どうしても趣味に走っているのは事実であり、このままでは1000冊なんて目標は意味のない数字合わせに過ぎなくなっている。これではいけないと思う。
世の中には、まだまだ私の知らない事、知るべき事、知っておいた方がイイことって数多あるはずだ。住み慣れた知識の枠に安住するのではなく、未知なる世界に足を踏み入れる気概こそが大切なもの。
この気概をなくした時こそが、人生からリタイアして引退生活に入るときだと信じている。
8年目に入りましたが、本読みとしての気概を新たにしたいと痛感しました。自戒の意味を込めて、新たに始めるつもりでこの先も頑張っていこうと思います。