一人事務所に出て仕事をしています。
昨日が仕事納めであり、私も残務整理のための出社です。
こうして静かな事務所で今年を思い返すと、やはり先月亡くなった母のことばかりが思い起こされます。
平成21年2月に自宅から救急車で搬送されて入院し、一度も家に帰ることなく病院で亡くなった母。一度でいい、家に帰してあげたかった。最初は動けないことからの恐浮ゥらか、帰宅を拒否していた母でした。
しかし、入院が長引くうちに帰りたいとの思いは募っていたはず。見舞いに行った時、私が早くリハビリを終えて家に帰ろうね、と話すとうっすらと目に涙を浮かべていた事が忘れられません。
一時帰宅でいい、家に泊まらなくてもいい、数時間の滞在でいいから家に帰したかった。いや、今年10月に病院長から電話をもらい、先が長くないことを知らされてからは、家に連れて帰って住み慣れた実家で最期を迎えさすことも考えた。
だが事態は思ったより急激に進み、胃ろうによる流動食の摂取さえ吐き戻し、高熱を発して危ない状態にまで進んだ。その後、しばらくして落ち着いたので安堵していた矢先だった。
私には分かっていた。母が年を越すことは難しいと。
だから密かに家に連れて帰ることさえ考えていた。だが、家での介護は誰がやる。仕事に追われる私には無理だし、妹たちも無理だと分かっていた。それでも可能性はあると思い、ヘルパーをやっているフィリピン人に連絡をとり、非公式な介護ができるか打診してみた。なんとか2人ほど確保し、後3人ほど揃えればなんとか家で介護が出来るかもしれないと思っていた。
それも深夜の妹からの電話で無駄に終わった。
もう少し早く行動していれば、母は家で最期を迎えることができただろうか。いや、それより設備の整った病院のほうが良かったのだろうか。
もっと私に出来ることがあったのではないか。そんな思いが頭を巡る。無駄と分かっている悩みではあるが、悩まずにはいられない。
穏やかな母の死に顔だけが心の救いでもある。
それでも、苦労に苦労を重ねた母には、もっと幸せな人生を終えて欲しかった。後悔は尽きることはない。
力不足の息子でゴメンね、お母さん。
昨日が仕事納めであり、私も残務整理のための出社です。
こうして静かな事務所で今年を思い返すと、やはり先月亡くなった母のことばかりが思い起こされます。
平成21年2月に自宅から救急車で搬送されて入院し、一度も家に帰ることなく病院で亡くなった母。一度でいい、家に帰してあげたかった。最初は動けないことからの恐浮ゥらか、帰宅を拒否していた母でした。
しかし、入院が長引くうちに帰りたいとの思いは募っていたはず。見舞いに行った時、私が早くリハビリを終えて家に帰ろうね、と話すとうっすらと目に涙を浮かべていた事が忘れられません。
一時帰宅でいい、家に泊まらなくてもいい、数時間の滞在でいいから家に帰したかった。いや、今年10月に病院長から電話をもらい、先が長くないことを知らされてからは、家に連れて帰って住み慣れた実家で最期を迎えさすことも考えた。
だが事態は思ったより急激に進み、胃ろうによる流動食の摂取さえ吐き戻し、高熱を発して危ない状態にまで進んだ。その後、しばらくして落ち着いたので安堵していた矢先だった。
私には分かっていた。母が年を越すことは難しいと。
だから密かに家に連れて帰ることさえ考えていた。だが、家での介護は誰がやる。仕事に追われる私には無理だし、妹たちも無理だと分かっていた。それでも可能性はあると思い、ヘルパーをやっているフィリピン人に連絡をとり、非公式な介護ができるか打診してみた。なんとか2人ほど確保し、後3人ほど揃えればなんとか家で介護が出来るかもしれないと思っていた。
それも深夜の妹からの電話で無駄に終わった。
もう少し早く行動していれば、母は家で最期を迎えることができただろうか。いや、それより設備の整った病院のほうが良かったのだろうか。
もっと私に出来ることがあったのではないか。そんな思いが頭を巡る。無駄と分かっている悩みではあるが、悩まずにはいられない。
穏やかな母の死に顔だけが心の救いでもある。
それでも、苦労に苦労を重ねた母には、もっと幸せな人生を終えて欲しかった。後悔は尽きることはない。
力不足の息子でゴメンね、お母さん。