風邪薬は風邪を治さない。
風邪薬は、風邪による発熱や頭痛などの苦しみを和らげるだけだ。風邪そのものを治す薬は、現代の進んだ科学をもってしても不可能だ。風邪そのものを治すのは、人間の体が持つ免疫力であり、回復力である。
しかし風邪薬は、薬効により強制的に熱を下げ、頭痛を緩和させることで安らかな安静を提供する。その結果、体力をつけるための食事を十分に摂ることが可能になり、安静をもたらして身体が風邪のウィルスと戦うための好条件を用意する。
風邪薬は決して無駄ではない。
思うにのび太にとって、ドラえもんとは風邪薬のようなものなのかもしれない。勉強もダメ、運動もダメ、才知に富んだわけでもなく、弁舌に溢れるわけでもないのび太は、劣等感の塊であった。
努力しても無駄と、最初から諦めている無気力な子供であった。しかし、未来から来たドラえもんが、のび太に諦めていた夢を実現してみせた。未来からの道具を使って、ありえない夢をのび太の前に現実として提示した。
だからこそ、漫画ドラえもんは子供たちに人気を博した。
しかし、私はあまりドラえもんを好まなかった。正確に云えば、のび太が嫌いだった。てめえの失敗をドラえもんに押し付け、お気楽に解決してるんじゃねえよと、のび太を馬鹿にしていた。
更に、のび太を安直に助けるドラえもんは、本当にのび太の役に立っているのかと疑問に思っていた。むしろ、のび太の地道な努力を無為にしてしまう存在ではないかと疑っていた。
だが、さすがにこの年になると分かることがある。私がのび太を嫌ったのは、のび太がすぐに助けを求める子供であったからだ。いちいち、泣きわめき、ドラえもんに泣きつくんじゃねえよと唾棄したのは、私の嫉妬に他ならない。
私は他者に助けを求めるのが苦手というか、下手な子供であった。親も祖父母も妹たちもいたが、私はまず家庭外のことで、家族に助けを求めた覚えがない。家の外でのことは、家に持ち込まないと決めていたし、悩みを打ち明け、助けを求められる友達もいなかった。
だから、安易に助けを求めるのび太が嫌いだった。多分、本当は私も助けを求めていたと思う。
風邪薬は、風邪を治さないのと同様、ドラえもんにがのび太を直接成長させる役には立たなかったと私は思う。しかし、諦めがちののび太に夢を与え、未来を前向きに目指す心のゆとりを与えることは出来たと思う。
子供たちにドラえもんが人気なのは、ドラえもんが助けてくれるからではなく、ドラえもんが助けを求める声に耳を傾けてくれるからだ。ドラえもんが提供する便利な道具は、本当の助けにはなっていない。それが分かっていても、子供たちに人気があるのは、子供たちの悩みや苦しみを聴いてくれる存在だからだと思う。
表題の映画は、数多く作られたドラえもん映画のなかでも、初の3Dグラフィックスによるアニメ映画である。この夏、公開されて以降、好調にヒット作となっているが、私のみたところ、案外子供よりも大人に受けている気がする。
内容は敢えて語るまい。出来れば映画館で、無理ならDVDでいいから観て欲しい。大人が泣けるドラえもん映画って、けっこう珍しいと思います。