新日本プロレスの鬼軍曹、それが山本小鉄であった。
私が子供の頃だと星野と組んでのヤマハ・ブラザーズで暴れていた前座のベテラン・プロレスラーであった。背丈は決して高くはないが、体の厚みが尋常ではなく、とりわけ上半身の筋肉の張りが凄まじかった。
もっとも私がプロレス最強伝説は立て看板であって、本当のプロレスは格闘演劇であると分かった頃には、現場を退き解説者の席に座っていることが多かった。
当時、新日本プロレスのTV放送はTV朝日の金曜夜8時からであり、実況は名物アナの古館であったから、鮮烈だが奇天烈なフレーズを連発する古舘アナに閉口して、なんとかプロレスの解説をしようと悪戦苦闘する様子がおかしかったことは良く覚えている。
そりゃ、喋りのプロというか、迷科白を連発する激発型実況プロレスを実践していた古館アナに対抗するのは、誰だって難しいと思う。古館アナが
「おっと、歩く人間山脈アンドレが地響きを立てて倒れたぞ! 山本さん、関東大震災より凄いですよね」
振られて困った顔をした山本小鉄がTV画面に映った時は笑えたが、私は決して馬鹿にはしていなかった。だって、怖い人だって知ってたから。
当時、新日本プロレスは世田谷の等々力に道場を構えていて、ここで若手レスラーたちが練習に励んでいた。小学校が終わった後、友達と自転車で小一時間走り、道場を覗きにいったことがる。
今はどうか知らないが、当時は子供の見学はわりと気軽に許してくれた。ただし、窓から覗くだけで、道場の中には入れてもらえなかった。いや、怖くて入れなかった。だって、凄いのだもの。
「バカヤロー!」との怒声の後で、竹刀で肉体をバシバシと叩く音がする。声の主は、当時道場を仕切っていた山本小鉄その人である。竹刀を振り回しながら、若手レスラーの背中を叩く、叩く。
叩かれた若手レスラーの背中が赤く腫れ上がっているのが見えたときは、こちらの背中まで痛く感じたくらいだ。私は汗が熱気のように身体から湧き出る光景に戦慄を覚えたものだ。
山本小鉄は竹刀を振り回すだけでなく、若手レスラーをリングに上げてレスリングの相手をしていたが、強い強い。背丈だけなら山本を上回る若手レスラーを子供扱いで、悲鳴をあげさせていた。
そして半失神状態の若手を道場から引きづり出して、庭にあった水場からバケツで水をぶっかけて、無理やり起こして再び道場に連れ戻す。その場面を身近で見ていた私らガキンチョは、絶対プロレスラーには喧嘩を売るまいと固く胸に誓ったものだ。
でも、そのあと戻ってきた山本小鉄は、私ら見学の子供たちにジュースを奢ってくれた。その時に見せてくれた笑顔に安心したが、その腕のぶっとさと、胸板の厚さは今も忘れずにいる。
そして野太い声で「お前らもデカくなって、強くなりたかったら、いつでも道場に来い」と別れ際に話してくれた。以来、私は断固として新日本プロレス・ファンであった。
別に全日本プロレスを否定している訳ではないが、新日本のプロレスがスピーディで、活気があるように思えたのは、あの等々力の道場でしごきがあったからからこそだと信じている。
メインイベントのプロレスだけでなく、前座のプロレスだって本物のプロレスだ。後に新日本プロレスを飛び出した前田日明も、ここで山本小鉄のしごきを受けたが、その葬儀の際には駆けつけて朝まで御棺を見守ったそうである。単に厳しいだけなら、これほど慕われることはない。
こんな鬼軍曹がいたからこそ、新日本プロレスの隆盛はあったのだと私は思います。