ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

イスラム国が意味するもの

2014-09-17 13:09:00 | 社会・政治・一般

既成の価値観が崩れつつある。

その一つが、現在世界を騒がすイスラム国の存在である。

現在の世界は、19世紀以降急速に国力を伸ばした欧米により構築された。それは旧来の支配者であったイスラムとシナという二大文明圏の衰退を意味していた。

欧米が理性と論理による科学を文明推進の基盤として、新たな理想社会を目指してきたのだが、それは必ずしも人々を幸せにしないことが分かってきてしまった。産業の高度化は新たな貧民を生み出した。新たな産業は大量の廃棄物を出し、ゴミ問題だけでなく生物の体を蝕む公害まで引き起こした。

理屈により平等な社会を目指した社会主義と共産革命は無様な失敗に終わり、自由貿易を目指した資本主義と市場経済は貧富の差の拡大により、世界に富と不満をまき散らした。

石油という富しか持たなかったアラブ諸国は、しょせん欧米に化石燃料を売るしか出来ず、一向に民主主義も市場経済も発展しない。シナやインドは下請け工場として発展し、経済発展により増えた中産階級が消費を活発にすれば、いずれは民主主義と市場経済に屈するはずだった。しかし、アラブもシナもインドも、思いのほか欧米の価値観に染まらない。

しかし、欧米主導の文明は思わぬところから綻びを見せてしまった。旧弊たる故国を飛び出し、西欧の地で生まれ育ち教育を受けたにも関わらず、欧米主導の世界に夢を見ることができなくなったイスラムの若者たちが牙を剥いてきた。

アメリカを震撼させた9,11のテロの実行犯たちは、いずれも欧米で生まれ育ち、欧米式の高等教育を受けている。本来、欧米の価値観に染まり、民主主義と市場経済の信奉者となるはずだった。それなのに、そうはならなかった。

アルカイーダだって、本来欧米の消費社会の恩恵を受けて豊かな暮らしを満喫できたサウジの富裕階級出身者により作られ、あろうことか欧米に牙を剥いてきた。危険な兆候は他にもある。

イスラム社会のなかでも近代化の手本ともいうべきトルコでさえ、もはやイスラム懐古の流れは否定できない。インドやシナから欧米の大学に進学し、本来市場経済の最先端で活躍すべき人材が、今や反欧米的価値観になびいている。

そして、遂に登場したのが、既成のイスラム国家に満足できない若者たちが立ち上げたイスラム国である。まだ国家というには未熟な存在だが、極めて危険な存在であることに変わりはない。

腰抜けオバマが、ようやく爆撃によるイスラム国攻撃を決めたのは、これ以上拡散してはならぬとの恐怖があるからだ。サウジやエジプトが黙認したのは、この新たなイスラム勢力の存在が、国内の不安要素になる可能性を恐れているからだ。

欧米主導の近代文明に追随してきたイスラム諸国が今、揺れている。現在のイスラム国はたいした存在ではない。しかし、放置しておけば、これまでの価値観を崩し、既成の国家、経済そして文明に亀裂を生じさせかねない危険性を持っている。

イスラム社会から縁遠い日本ではあるが、いつまでも傍観者の立場でいられるのか、私は疑問に思っています。日本のメディアは、この手の問題に鈍感なので、海外の情報に少し気を配ろうと考えている次第です。

コメント (13)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする