ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

インキュバス レイ・ラッセル

2016-08-18 18:15:00 | 

汝、姦淫することなかれ。

人間の三大本能といえば、食欲、睡眠欲、性欲だ。前二者はともかく、問題なのは性欲である。生殖と密接につながっている本能であり、種の持続という観点から非常に重要な本能であるはずだ。

性の悦楽なくして、人は出産のために励むのか。ある意味、非常に巧妙な仕組みだと思う。ところが、この性欲を「汝、姦淫することなかれ」と抑制することを言いだしたのが、古代のユダヤ教である。

もちろん、本来の趣獅ヘ、男女の性行は、正式な婚姻関係(ユダヤ教の戒律にのっとって)にある者同士のみであり、それ以外の性行は淫らなものとして禁じたのが実態だ。

当時のオリエント社会は、比較的性に関しては大らかであったようで、少数派のユダヤ教では多神教の社会に溶け込まないよう、必死で信者たちに戒律を守るようにとの必死の思いがあったものと考えられる。

ユダヤ教同様、一神教であるキリスト教でも、この教えは引き継がれている。農耕中心の社会であった古代オリエントでは、多産を願う豊饒神が人気であり、必然的に性に関しても、開放的であったようだ。これは、おそらくだが農耕民だけでなく、放牧を営む民族の影響も強かったと思われる。

キリスト教が、性に関して厳しい戒律を要求したのは、言い換えればそれだけ男女の関係が乱れた社会であったからだと、容易に想像できる。もっとも、意地悪な目で見れば、女性に対してはより厳しい戒律を求めていたように思う。

一神教というのは、概ね男性優位の思想を根幹に持っている。これは、神が男性神と規定されていることや、女性を家庭に閉じ込める思想が強かったからではないかと思う。

宗教的戒律の元での婚姻以外の男女の性行を、姦淫だとみなして厳しく禁じることを一概に間違いだとは思わない。しかしながら、種の保存という遺伝子的な本能に基づく性欲を抑制することは、むしろ却って人の行動を歪めてしまったと思う。

表題の作品のタイトルでもあるインキュバスとは、夢魔もしくは淫行魔とされる魔物である。中世に描かれた挿絵などから察するに、元々は古代の豊饒神を歪めて描いたものであろう。

夢に入り込む妖魔、魔物の類いは、東洋やキリスト教伝来以前の新大陸、アフリカにも見受けられるが、概ね精神病など当時の医学では理解不能な病状に対する解釈としてのものが多い。

その夢魔に性的な特性を与えたのは、キリスト教に他ならない。なにせ、夢のなかで他人の妻を姦淫することも罪だとしているほどなのだから。だが、いくら宗教的戒律により姦淫を禁じようと、人類の営みのなかで古代から現代に至るまで、不謹慎な姦淫がなくなったことはない。

やはり、本能に反する戒律は無理がある。このような無理を強要すると、必ずどこかで歪みが出る。実際、禁じているはずのキリスト教関係者でさえ、少年愛や幼児姦など異常性犯罪を起してきたことは、知る人ぞ知る事実だ。

私は本能的欲求に対しては、ある程度の抑制は必要だが、完全な抑制は不可能だと考えている。やはり、人は自然な感情を大事にするべきですよ。

ところで表題の作品は、80年代に早川書房がモダン・ホラー作品を大量に刊行してブームを狙った時に出版された一作です。キングやクーンツには遠く及ばない水準であるため、あまり売れなかったせいか、今では古本屋でも見つけ出すのは困難とされた作品でした。

私も探し出して30年あまり、ようやく見つけ出したものですが、読んでみて分かったのは、これではモダン・ホラーが廃れたのも無理はないということでした。せっかくのインキュバスも、これではアイディア倒れ。

改めて、キングやクーンツ、マキャモンらの偉大さが分かりました。それにしたって早川さんよ、もう少し作品選んでくれよな。こりゃ、竜頭蛇尾も甚だしいぞ。

コメント (3)
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