初めての海外旅行は、添乗員付きのパック旅行であった。
外国語に堪能ではない人の場合、これは大変に便利だが、土産物店に無理やり連れていかれたりと不便も多い。だから、多少慣れてくると、どうしても不満が募るのは止むを得ない。
自分で全てスケジュールを組み、ホテルの予約をするのは難儀なのだが、そこは旅行会社のほうで、個人旅行と銘打った企画を出して、従来のパック旅行より少し安く、最低限のスケジュールでの海外旅行が可能となった。
これは、けっこう便利で、私も何度か使っている。添乗員に引率されてのパック旅行では立ち寄れなかった裏通りのお店や、少し怪しげなお店にも行けるワクワク感が楽しかった。
もちろん、観光客目当ての悪い奴らもいるし、地元民でも近づきたがらないような危ない界隈を見抜く勘を持たないと、非常に危ないと思う。実際、私も幾度か、これは危ないと思い、さっさと逃げ出したことがある。
でも、思わぬ出会いとか、予期せぬ美味しいお店、料理に出くわすこともある。だから、私は海外へ旅行した時は、一人で街を散策するのを楽しみにしていた。
シンガポールへ行った時もそうだった。たしかに綺麗な観光都市国家だと思うが、私はデパートでのブランド・ショッピングには興味はない。この時は先代の所長とスタッフとの慰安旅行で行ったのだが、私は一人皆から離れて、シンガポールの裏町を散策していた。
事前に地図を詳細に検討して、多分このあたりが地元の人たちが使う商店街ではないかと予想した場所に行ってみる。予想どおり、そこは中国人街であり、横浜よりも小汚いが、オーチャード通りの綺麗な観光地よりも、私には遥かに魅力的であった。
幸い、片言でも英語が通じるので、私は家族連れなどが入って行った料理屋に入り、手振り身振りを交えて、なんとか一人で飲茶をオーダーできた。これがまた美味しくて、銀座の中華料理店なら5倍は取られるような料理が、安価に机の上に並べられた。
ただし、机の下はゴミだらけだし、どうもゴキブリもいるようであったが、それさえ気にしなければ、味は十二分に満足のいくものであった。周囲の目線は気になったが、私は日本語は敢えて口にせず、あくまでカタカナ英語だけで交渉したので、そのうち周囲も無視してくれるようになった。
私見だが、英語の発音の上手い、下手なんて気にしないほうがいい。むしろ、いかに気持ちを込めて発言するかが大事だと思う。もっと分かりやすく云えば、大きな声で「THIS!、THIS FOOD」を繰り返したのが、一番効果があったように思う。
漢字で書かれたメニューなんて、日本語ではないので分からない。だから、隣の席の机の上の料理を指さして「SAME FOOD」これも、分かりやすかったようだ。文法なんてクソ喰らえである。
白状すると、内心ビクビクであったが、私の欲しかった飲茶が運ばれてきたときは、満足感より、ホッとした安堵感のほうが強かったくらいである。そして、やっぱり美味しかった。また行きたいものである。
ただ、帰国後、いくらガイドブックを見ても、その店も、その中華街も記載はされていなかった。間違いなく観光客向けの場所ではなかったのだろう。やはり、自分の眼で見て、匂いを嗅いで(件の中華料理店は、美味しげな匂いが決め手だった)、自分の足で探してこその旅である。
もっとも、こんなケースは稀で、多くの場合は、観光ガイドブックなどの資料を頼るか、その地元在住の知人の案内によるしかない。やはり書物などの資料から調べることが旅の事前準備として大事なのだと思っている。
この事前準備の達人というか、凄まじいほどの事前研究で知られていたのが、作家の故・司馬遼太郎である。東京は神田の古本屋では有名な存在であった。私も祖父に連れられて、幼い時から古本屋に馴染んでいたので、司馬遼太郎の資料収集の凄まじさは耳にしていた。
彼の膨大な歴史小説の数々は、この膨大な資料研究から生まれたものである。多くの資料から、事実を読み取り、そこに作家として物語を紡ぎだす。こうして、あの歴史小説は書かれてきたそうである。
でもねぇ、私は以前から、司馬遼太郎の作品にいささか不満を持っていた。人間描写が綺麗過ぎるというか、汚い面を強調することのない平面な描写であることに、納得がいかない気持ちを持っていた。
そして、おそらく、その原因は司馬遼太郎の小説を書く姿勢というか、書き方の問題であろうと思っていた。多くの人がしり込みするような膨大な書籍を読み解き、そこから小説を紡ぎだす才能は尊敬に値する。
でも、人間観察が甘いというか、描写力が抑制され過ぎに感じるのは、彼が書籍から小説を生み出すからではないかと私は考えていた。そのことが実感できたのが、表題の旅行記である。
あの世代の日本人は、どうしても中国に対して歴史的な劣等感を感じる。だから日中戦争に対して引け目を感じるのは、なにも司馬遼太郎一人ではない。それは分かるのだが、あまりに共産シナに対して、腰が低過ぎる死、視線が甘すぎる。
それでいて、膨大な書籍から蓄積された知識と、シナの歴史上の史跡とを関連づけての考察の深さは衰えることはない。でも、現代シナの政治的な圧力に対する視線の甘さ、大らかさは歴史作家にあるまじき失態ではないかと思う。
やはり、この作家は現実よりも、書籍から小説を編み出す人なのだと実感できた旅行記でした。あまりに讃美され過ぎの感がある司馬遼太郎を再考しようと思ったら、案外とこの書は必読かもしれませんよ。