今年の夏は、長期休暇はとらなかった。というか、夏休み自体、特にとらず、土日はもちろん、8月限定の水曜日休みも、私は半日は仕事をしていた。
休みをとらなかった理由の一つに、書棚の整理がある。いつかは、やらねばならぬと思っていたが、昨年入院した際に絶対にやろうと決意していたことでもある。
この書棚の整理は、長年の課題であった。あの東日本大震災で書棚が破損した際でさえ、とりあえず本を元に戻しただけ。本格的な整理は、いつも先送りにしていた。
しかし、昨年入院している時に、もし自分が大幅に健康を害したら、あの書棚はひどく迷惑な存在であることに気がついた。本を詰め込み過ぎであり、読みたい本を見つけるのは、たいへんな作業になっている。
そこで思い切って、書棚の整理と同時並行で、トランクルームに預けてある段ボール詰めの本の整理をすることにした。これは、長年本は捨てられないと決めつけていた私にとっては、人生における一大決心である。
正確には捨てるのではなく、古本屋に売り捌くのだが、その判断基準は「もう一度、読みたい」かどうかである。
他の基準は、敢えて無視した。トランクルームに預けて10年以上、もう一度読みたいと思える本は、思いのほか少ない。だから、ビシバシと処分した。いや、今もしている最中である。
おそらく3年前なら、この決断は出来なかった。でも、今なら出来る。何故かと云えば、私の体力が低下して、もう一度読むだけの精神的、肉体的スタミナが大きく減じているからだ。
やはり、あの心筋梗塞の影響は大きかった。まだ50台前半とはいえ、読書するための体力、気力、集中力が減少している現実は、もう無視しえないほどになっている。再読する本は厳選しないと、まだ読んでいない本を読むための時間に差し支える。
既に段ボール15箱、処分したが、まだまだ道半ばである。その3倍近い段ボールが、家じゅうの押し入れの奥に眠っている。これは秋までかかるであろうが、なんとか今年中に処分するつもりだ。
これは、年老いてからでは難しい。やはり元気なうちに決断しておくべきなのだと痛感している。そして再読に値する本は、思いのほか少ないことが分かったことも、いい勉強になった。