少し古いニュースだが、日本の大手家電メーカーの名門であるシャープが、外国資本それも中国資本の傘下に落ちたとの報道は衝撃的であった。
台湾、韓国に続き、共産シナもまた日本の高度成長と同じ道を辿る以上、家電においても日本に追い付いてくることは、容易に予想は出来た。私は日本の家電メーカーの、高付加価値路線に疑問を思っていたので、ある意味当然だとも思っていた。
しかし、いざ外国資本の手に落ち、仮借なきリストラが目前に迫るのを見ると、やはり忸怩たる気持ちは拭いきれない。現在の家電の販売状況を見ていると、冷蔵庫、クーラー、電子レンジなど、次々と安価で、それなりの性能の外国製品が増えてきている。
かつては、その品質は悪いものであったのかもしれないが、徐々に改善されて、今や長く使わない限り、日本製品にそう劣るものではなくなっているのが現状である。
このままでは、そう遠くない将来、日本の産業界は著しく衰退するのではないか。そう心配してしまうのも無理ないと思う。だが、それほど日本は弱くもないし、むしろ危機にあってこそ実力を発揮する国だと私は考えている。
家電は、安い製品を作る東アジア勢に一曹ウれそうだが、よく見るとそうでもない。第一、その安価な製品を作る工作機械、ベルトコンベアなどは日本製であることが多い。まだ使用している部品も、重要なものは日本製であったりしている。
家電のなかでも、精密機械はまだまだ日本、ドイツなどの独壇場となっている。例えばデジタル一眼レフカメラは、もう圧倒的に日本製品が市場を占拠している。デジカメ以外のカメラはドイツのライカを除けば、日本メーカーに迫れる海外メーカーは皆無である。
これはカメラや高級時計など精密機械は、IT製品と異なり、容易にコピーが出来ない。3Dプリンターで外見は作れても、過剰なまでに精密に加工され、複雑な組み合わせで製造される製品となると、アジアのメーカーでは出来ないのが実情だ。
韓国のメーカーも、この分野への進出を狙っているが、カタログ上の性能を発揮させることすら苦労している。この精密機器の製造には、職人的技量が求められるため、サムソンなどが得意とする資本の大型集中的な投資では、容易に育たないからでもある。
精密機械に限らないが、物づくりを極めようとする精神的な土壌がないと、高度な製品は作れない。これを得意とするのは、ドイツ、日本、スイスなど一部の国に限られるのが実情だ。
物づくりの精神は、歴史的な精神風土が重要な要素となる。ドイツの堅牢さ、スイスの緻密さ、そして日本のきめの細かい配慮は、その国民性から産まれたもので、一時の流行などではない。
これこそが、日本の強みであり、同時に弱点でもある。ユダヤ資本の持つ情報ネットワークと金融サービス、あるいはアングロサクソン系の金融サービスの果断な決断とスピードは、到底日本人の及ぶところではない。
また、物づくりでも、かつてのイギリスやアメリカが持っていた革新的な開発力、応用性。あるいはイタリアやスペインの持つ独創的なアイディとデザイン性の高さも、日本人には追いつけぬレベルであるかもしれない。
だが、日本には世界中から賞賛されるような顧客サービスの質の高さ、個性的な商品開発など、独自の強みを持っている。外国から学ぶべきは学び、日本に相応しくないものを排除する知恵の深さなら、千年以上の歴史をもっている。
これこそが、日本独特の強みであり、激動が予測される21世紀を生き抜くための武器であると私は考えている。そのためにも、自らの至らなさを知り、より高みを目指しての研鑽を怠らず、また驕り高ぶらず、謙虚さを忘れなければ、まだまだ日本は落ちぶれることはない。そう、私は確信しています。
そして、最後に一言。民主党政権はもちろん、現行の自公政権も、この日本の製造業に益する政策は、ほとんどしていない。やっているのは富裕階級向けの投資促進策と、大企業向けの減税のみ。霞が関に受けのいい銀行や証券、生保損保なんて、世界的には劣等企業。なにが、本当に大事なのか、政府はよく考えて欲しいものです。