ヌマンタの書斎

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ロジャー・ムーアの訃報を聞いて思うこと

2017-06-05 14:11:00 | 映画

映画があまりに人気が高いため、忘れられているのがスパイ小説としてのジェームズ・ボンドだ。

ただし、スパイ小説として読むに値すると思っているのは、概ね1950年代半ばまでに発表された作品だと思う。後半、特に1960年代以降の作品は読むに耐えかねると思っている。

原因は分かっている。作者のフレミング自体は、スパイ小説としてのジェームズ・ボンド作品を、もう書きたくなかったのだが、如何せん映画が売れすぎた。そのため、後半の作品は綺麗なお姉ちゃんと奇抜なスパイグッズ、奇天烈な悪役のオンパレードとなっている。

そうなってしまった一因は、ロジャー・ムーアではないかと思う。

映画007の初代ボンドを務めたショーン・コネリーはワイルドに過ぎて、フレミングのイメージとは違っていたらしい。そしてロジャー・ムーアこそ理想的なボンド像であったらしい。

実のところ、映画化する際、最初の作品からムーアにオファーがいったのだが、多忙を理由に断っている。嘘かホントか知らぬが、ムーアは自身の運動神経にはあまり自信がなく、アクション・シーンの多そうなスパイ映画は嫌だったらしい。

そのせいかと思うが、アクションの派手であったコネリー・ボンドの007映画と比べると、ムーア・ボンドの007映画はアクションは控えめで、奇抜なスパイ道具や、仰天するような悪役などが増え、優雅で美食家なスパイとなった。

これはフレミング自身の実体験からだと思う。原作者のフレミングはかなり放埓な十代を過ごしている。中学も高校もまともに通わず、欧州各地の女性たちと享楽的な生活を送っている。大学も中退であり、学歴は小学校卒とするほうが相応しいらしい。

ただし、おそらく家庭での教育が厳しかったのか、学力はある程度あったようだ。ヨーロッパ各地の学校へ遊学してい、各地の女性たちとの交流のおかげで語学力も高い。まともな学歴を持たないフレミングだが、実家は英国の上流階級の名門であり、そのコネで通信社に入社。その関係で軍の諜報関係の仕事に就いたりもしている。

この経験が、後にスパイ小説である007・シリーズの大元となっている。だからこそ、フレミングは優雅なプレイボーイのイメージが強いムーア版のボンドを好んだとされる。

初代のショーン・コネリーからダニエル・クレイグまで多彩なボンド像が演じられてきたが、もっとも優美でユーモラスなボンドは、ムーアであったと思うのです。ブロスナンも良いのですが、より優男なのはムーアかな・・・と。

ちなみにムーアは、アクションシーンが苦手なのはともかく、4度の結婚をしたプレイボーイであるにも関わらず、ラブシーンが大の苦手であったとか。ただ、意地悪な質問をしてくる記者をユーモアたっぷりの応答で煙に巻くのは一番であったとか。

フレミングが内心止めたいと思いながらも書き続けた007小説の後半が駄作だらけなのは、ムーア・ボンドのための原作であったからではないか。証拠があるわけでもないのですが、そんな気もするのです。

そのロジャー・ムーアが先月亡くなったとの事。謹んでご冥福をお祈りいたします。

コメント (4)
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