未来の歴史家が、アメリカの最盛期だと考えるのは、おそらく1920年代ではないかと思う。
第一次世界大戦は、アメリカの参戦により事実上終結した。戦勝国として名を上げただけでなく、それまで産業革命で先行し、世界各地に植民地を築き上げたヨーロッパ各国が戦塵にまみれ、戦禍から立ち上がるのを手助けしただけでなく、彼らの持っていた市場や利権なども入手した。
結果、アメリカ企業は史上空前の大好況を満喫し、株式市場に多額の金がなだれ込んだ。だが、この過剰投資が、やがて来る世界大不況の呼び水となったことは、後々になって分かったこと。
その1920年代は、まだ歴史の浅かった空想科学小説が一大発展を遂げた時代でもある。当時、サイエンス・フィクションは文学とは見做されなかった。正直、無理ないと思う。
あの時代、青少年向けに書かれた空想小説は、科学の皮をかぶっているだけの荒唐無稽なものが多かった。基本、正義のヒーローと、悪の化身との戦いが中心であったのはいい。問題は、物語の背景に、宇宙の創造者を持ち出すことであった。
E・E・スミスの「レンズマン」シリーズに出てくるアリシア人などが代表だが、E・ハミルトンの「フェデェッセンの宇宙」といった宇宙創造譚など、様々な作品が書かれた。
SF小説はアメリカ以外では、ヨーロッパで書かれていたが、20世紀前半には創造主を持ち出すような作品が書かれたことは、私の記憶にはない。やはり、これは空前の好景気を背景に、アメリカ人が当時陥っていた世界の中心はアメリカであるとの思い込み、あるいは傲慢さが背景にあると思う。
このような破天荒なSF小説は、スペースオペラと揶揄されていた。ちなみに私は大好きであり、十代前半の読書はSF、とりわけスペースオペラに多大な時間を費やしている。
このスペースオペラに夢中になった少年たちのなかには、その夢を忘れることなく大人になったものがいる。そんな大人たちが、1960年代になってマーベル社の刊行する漫画雑誌に多くの作品を発表した。
でも、私の記憶では当時も社会的には、決して高い評価を受けていたとは言い難いと思う。どちらかといえば、スポーツよりも家で静かに本を読む、でも勉強はあまりしない少年たちの読む娯楽として、大人たちから見られていたと思う。
そのあたりの事情は、S・キングやD・R・クーンツが作品中に時折、取り上げている。はっきり言えば、ちょっと子供っぽくて恥ずかし趣味だったと思う。もっと言えば、このホラー小説の両横綱であるキングもクーンツも、少年時代にマーベルのコミックに夢中であったと思う。
そして、さらに月日が経ち、ハリウッドが気が付いた。「スター・ウォーズ」が大ヒットするならば、マーベルのコミック・ヒーローだって稼げるのではないか?
幸いにして、コンピューター技術の向上は、CGに劇的な進化をもたらし、実写化するのは不可能であったはずの映像でマーベルのコミック・ヒーローたちを映画のヒーローとして再登場させた。
このマーベルのヒーローたちは、世界中にファンを抱えている。西側、東側も関係なく、反米的な国でさえ、この手のコミックヒーローは大人気である。だから、世界的な大ヒット作品になることも珍しくない。唯一の例外は日本で、ハリウッドが期待するほど稼いでいない。
でも、アニメファンは知っている。日本にはポケモンを始めとして独特なファンタジーの世界が既にあり、むしろ先行している面さえあることを。だから、マーベルのコミックヒーロ―にも、けっこう厳しい視線で鑑賞している。
で、表題の映画だが、これは二作目にあたる。また、ガーディアンズでも二代目のメンバーが活躍しているのだが、お願いだからアヴェンジャーズ入りは止めて欲しい。このメンバ―、この世界観のまま次回作も作って欲しい。
トニー・スタークに説教されるロケットなんて御免である。人気キャラに頼って、その人気キャラを集めれば、観客は増えるなんて安易な発想はしないで欲しい。このままのイメージでお願いしますよ。