ヌマンタの書斎

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少年革命家

2022-09-08 16:01:51 | 社会・政治・一般

まず最初に書いておくと、私は少年革命家とか呼ばれている(自称かな?)ゆたぼんとは一切関わりをもっていない。

もっと言えば、つい最近まで名前すら知らなかった。コロナで自宅待機が続いた頃に、ネットのクラウドファンディングで集めた金で遊んでいる子供らしいことぐらいしか知らなかった。

ぶっちゃけ興味がなかったし、多分裏で糸を引いている大人がいるだろうと推測していた。たいして価値のあるニュースだとは思えなかった。それは今も変わりない。

何故かというと、私が子供の頃には、少年ならぬ青年革命家が掃いて捨てるほど沢山いたからだ。そして私の知る限り、日本において革命家を自称する人物で、革命を成し遂げた人は皆無だ。

一番記憶に残っているのは、日大全学連の秋田明大だ。直接会ったことなどないが、私がよく本を借りていた大学生の運動家のお兄さんが熱烈なファンであったから、その話をよく聞かされた。

たしか日大の総長の資金不正流用を追求した人だと思うが、私が民青の人たちと交流があった頃は既に拘置所に収監されていたはずだ。しかし、その名声は大きく、あまりに良く聞かされていたので身近な人だと勘違いしてしまったほどだ。

当時、三軒茶屋には日大農獣医学部があり、日大の学生が多かったからだと思う。もっとも浅間山荘事件や連合赤軍のリンチ事件などが明るみ出ると、次第に運動は廃れていった。

私が大学生の頃には、大半の学生運動家は既にイチゴ白書さながらに、髭を剃り、長髪を短くして会社務めに勤しんでいた。一部に革命家の夢を捨てきれずにいた人もいたのだが、どういう訳だが芸能界とか報道カメラマンとかになっていた。

革命はどうなったの? 

それを訊くほど私は野暮ではない。でも憐憫の情が漏れていたかもしれない。それに気が付かれて、なんとも気まずい空気が流れた。以来、私は彼らに会っていない。

彼ら青年革命家たちは、その意思が弱かったとは思わない。彼らは彼らなりに本気であったと思う。しかし、革命を実行する覚悟に欠けていた。革命とは既成の社会構造を破壊し、新たな社会秩序を築くものだ。

創造の前に破壊がある。古代日本では大国主命による国譲りの神話があるが、革命はそれとは真逆なものだ。既成の既得権者の富を奪い、生活の基盤を破壊するのが革命である。

革命というとレーニンによる赤色革命に打倒されたロシアのロマノフ王朝を想起する方もいると思う。あれはロシア全土に破壊と虐殺をまき散らしての凄惨な内戦であった。

しかし、最大の革命はバスチーユ監獄から始まるフランス革命である。それはナポレオンの革命戦争の終結まで続く破壊と虐殺の連続であった。神の権威を看板にした中世を破壊し、人権を看板にした民主主義という正義を掲げて行われた壮大な殺戮と殲滅の戦いである。

日本ではなかったタイプの戦争なので覚えておいたほうがよい。正義を看板に掲げた時、人は獰猛で残虐な殺戮者に変貌することを。そして敵対者は自らの生存を賭けての苛烈な抵抗をするのが常だ。

私は、ゆたぽんも、その父親も知らないが、彼らに革命の実践者としての苛烈な覚悟があるとは思えない。情報が娯楽として安易に消費される現代社会のオカズの一つで終わると予想しています。

コメント
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