ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

面白い本 成毛眞

2022-09-15 13:37:01 | 
私の小学校低学年の頃の愛読書は、間違いなく百科事典であった。

毎月、我が家にジャポニカの子供向け百科事典が送られてくるのが楽しみだった。あいうえお順になっていて、覚えやすく、また使いやすかった。そのうち怪獣図鑑や妖怪図鑑なども買ってもらっていた。

意味なんてない。ただただ知識が増えていくことが楽しかった。目的もない、ただ知識が拡がっていくことが楽しかった。それだけだった。

ただ、私のこの読書傾向は一年生の時の担任の先生には好まれなかった。私は子供らしく童話などを読むべきであったらしい。もちろん、そんなの聞きやしない我儘な子供であった。

この先生は子供を枠にはめたがる傾向が強かった。だから生徒は先生の話を一心に聞いているべきだし、大人しく椅子に座っているべきであると思い込んでいた。

しかし、不幸なことにそのクラスには若干知能の低い問題児がいた。椅子に座っていることが苦手で、いつもフラフラと教室を抜け出し、廊下から校庭に出ようとしていた。

叱っても無駄というか、まるで理解できていなかったと思う。ここまで極端だと、イジメの対象にはならなかった。先生も叱っても無駄と諦めていた。ただ、相当にストレスが溜まっていたと思う。

その先生のストレス発散の対象となったのが、次に問題児であった私である。たしかにじっとしているのが苦手で、しかも興味がないことには関心を示さない。そして、それを隠すこともしない。だから私はよく怒られた。

この先生の不運は、クラスの生徒の大半が私への叱責が八つ当たりだと気付かれていたことだ。もちろん私も気が付いた。だから、殊更先生の言うことは聞かず、図書室で百科事典を楽しんでいた。

今だから分るが、当時先生は妊娠初期でそのせいで些か情緒不安定になっていたらしい。二学期からは替わりのベテランの先生がやってきて、私の不運な小学校一年の学校生活は楽しいものとなった。

偶然だと思うけど、この頃から小説なども楽しむようになれた。「フランダースの犬」「名犬バック」「シートン動物記」などが入り口となって、やがてノンフィクションの世界にはまる要因ともなる。

もっとも私の中には妙なバランス感覚があり、フィクションの極地といって良いSFやミステリーにもはまっていた。これは当時の日本の純文学が、戦争をめそめそと嘆いたり、男女の別れにうじうじした作品が多いことへの反発でもあった。

だが、一定時間SFやミステリー、ホラーなどにはまると、その反動のようにノンフィクションの作品を耽読したりしていた。科学、歴史、医療、動物、昆虫、魚類などを扱った作品も好きだった。

だからだろう、表題の作品で著者が取り上げた作品に対する共感と関心が半端ではない。既に読んだ作品もあるが、未読の作品がけっこうあり、そのどれもが面白そうだ。

当面、私の読書のガイドブックとなる作品である。いやいや、今後が楽しみだ。
コメント (3)
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