子供の頃から裏社会で生きてきた青年が、堅気の生活を送れるようになるのは難しい。
私は際どかったと思う。堅気の家で育ったが、両親の離婚と引越しにより環境が変ったことで、性格が微妙に歪んだ。幼い頃から、多少はひねていたとは思うが、母が働き始め、祖父母の家で世話になっていた頃の私は、間違いなく問題児であった。
詳しくは覚えていないが、度々警察の世話になり、小学校の担任の奴からは「こんな奴は施設へ送るべきです」と激高される有り様であった。もっとも私からすれば、この脳内お花畑で平和の舞に呆けている馬鹿教師のほうこそ居なくなって欲しい存在であった。
私を辛うじて堅気の世界に留めてくれたのは、敢えて私の悪行を叱らなかった母と祖父母の優しさであり、黙って傍に居てくれた妹たちの存在があったからだ。私には家庭という逃げ場所があった。だからこそ、本格的に社会の裏面に逃げ込む必要がなかった。
ただ私は少々暴れすぎた。善良なクラスメイトまで傷つけてしまい、もうその学校には居られなくなった。叔父が教育委員会に多少顔が利いたので、母の転勤に合わせて転校することで私は大人しくなった。
せっかく友達が出来た妹たちには悪い事をしたと思うが、あの町に居続けたら、私はきっと事件を起こしていたと思う。転校後は憑き物が落ちたように大人しくなったが、それもつかの間のことだった。
なにせ引っ越した街は、世田谷でも古くからの繁華街・三軒茶屋であった。賑やかな商店街だが、その分裏社会も潜んでいる。私はその荒れた性分から、真面目な同級生よりも、不真面目な連中との付き合いを好む傾向があった。
気が付いたら、香具師の兄ちゃんたちと仲良くなり、祭りの時は神輿を担ぐ傍ら、露店の手伝いをして小遣い稼ぎをしていた。私は義務教育を終えたら働くつもりであり、香具師になるのも悪くないと考えていたほどだ。
ちなみに勉強が嫌いだった訳ではない。ただ自分には不要だと思い込んでいた。それでも誰に似たのか、読書好きであったことが後になって幸いした。
中二の冬に突如、離別した父が現れて大学までの資金援助をしてくれることになったのが転機だった。その後一年間必死で勉強したことで、都立高校の普通科に進学出来た。
転機と簡単に書いたが、これは大事であった。まさか高校進学を目指すことが、当時の遊び仲間から裏切り者扱いをされる羽目に陥るとは、まったく予想していなかった。
私は素直に裏切り者として痛めつけられるほど大人しくなかったので、しばらくは喧嘩とイジメから逃れられなかった。家族には黙っていたが、私の悪戦苦闘ぶりに気が付いた妹は、遊び友達との縁を切ることができなくなり、結果的に堅気の生き方が難しくなったのは予想外であった。
私自身は、知らぬ間に周囲から真面目っ子に転向することを応援されていたようで、気が付いたら喧嘩もイジメもなくなっていた。
だからこそ、私には希代のミステリー作家であるジェイムズ・エルロイから目を離せない。エルロイの幼少期から青年時代の苛烈さは私の比ではない。高級売春婦であった母は、路上で殺害され犯人は不明。父はアル中の生活破綻者であり、その父の下で暮らす子供に堅気の生き方なんざ出来るはずはない。
エルロイは路上の不良であり、闇夜の探索者であり、狡賢い盗賊でもあった。幾度か捕まり矯正施設へも送られている。保護司の下で暮らし、その監督下で高校に通っている。このような若者に健全な友人など出来る訳がない。
だがエルロイは高い知能を持つ読書家でもあった。図書館は彼の避難所であり、勉学の場でもあった。彼は自らの社会的存在が危ういことを自覚し、そこから抜け出す手段として作家という道を選ぶ。
大男で腕っぷしにも自信のあるエルロイではあるが、不良青年から堅気の生き方へと転向するのは茨の道であろうことは、私には容易に想像がつく。だがエルロイは真正面から正攻法で茨の道をかき分けた。
それは犯罪を犯したものでなければ分からない世界を直視することだ。犯罪者の目線から見た健全な社会の危うさ、そして健全な人間には描けぬ異様でオゾマしい残虐な犯罪の世界を筆で描き出すことだ。
ミステリー界の最北端、アメリカ文学界の狂犬と称された異端の作家エルロイはかくして生まれた。そのデビュー作が表題の書である。正直、ロス暗黒史四部作や、アメリカ暗黒史三部作と比べると、相当に上品である。
ただしエルロイである。サイコ・ミステリーに免疫がない人には脅威の作品である。私はいきなり「ブラック・ダリア」からエルロイを知ったので、この作品には物足りなさを感じてしまうが、普通の読書好きには相応に心を痛めつけられる内容であろう。
そう、エルロイは読む毎に読者の心を傷付ける媚毒を含んだ作家である。その毒性の強さから、一度読んだら一定期間間を開けないと次を読む気力が湧かない。その意味で、表題の作品はエルロイ入門としては良いかもしれません。興味が湧きましたら是非どうぞ。
私は際どかったと思う。堅気の家で育ったが、両親の離婚と引越しにより環境が変ったことで、性格が微妙に歪んだ。幼い頃から、多少はひねていたとは思うが、母が働き始め、祖父母の家で世話になっていた頃の私は、間違いなく問題児であった。
詳しくは覚えていないが、度々警察の世話になり、小学校の担任の奴からは「こんな奴は施設へ送るべきです」と激高される有り様であった。もっとも私からすれば、この脳内お花畑で平和の舞に呆けている馬鹿教師のほうこそ居なくなって欲しい存在であった。
私を辛うじて堅気の世界に留めてくれたのは、敢えて私の悪行を叱らなかった母と祖父母の優しさであり、黙って傍に居てくれた妹たちの存在があったからだ。私には家庭という逃げ場所があった。だからこそ、本格的に社会の裏面に逃げ込む必要がなかった。
ただ私は少々暴れすぎた。善良なクラスメイトまで傷つけてしまい、もうその学校には居られなくなった。叔父が教育委員会に多少顔が利いたので、母の転勤に合わせて転校することで私は大人しくなった。
せっかく友達が出来た妹たちには悪い事をしたと思うが、あの町に居続けたら、私はきっと事件を起こしていたと思う。転校後は憑き物が落ちたように大人しくなったが、それもつかの間のことだった。
なにせ引っ越した街は、世田谷でも古くからの繁華街・三軒茶屋であった。賑やかな商店街だが、その分裏社会も潜んでいる。私はその荒れた性分から、真面目な同級生よりも、不真面目な連中との付き合いを好む傾向があった。
気が付いたら、香具師の兄ちゃんたちと仲良くなり、祭りの時は神輿を担ぐ傍ら、露店の手伝いをして小遣い稼ぎをしていた。私は義務教育を終えたら働くつもりであり、香具師になるのも悪くないと考えていたほどだ。
ちなみに勉強が嫌いだった訳ではない。ただ自分には不要だと思い込んでいた。それでも誰に似たのか、読書好きであったことが後になって幸いした。
中二の冬に突如、離別した父が現れて大学までの資金援助をしてくれることになったのが転機だった。その後一年間必死で勉強したことで、都立高校の普通科に進学出来た。
転機と簡単に書いたが、これは大事であった。まさか高校進学を目指すことが、当時の遊び仲間から裏切り者扱いをされる羽目に陥るとは、まったく予想していなかった。
私は素直に裏切り者として痛めつけられるほど大人しくなかったので、しばらくは喧嘩とイジメから逃れられなかった。家族には黙っていたが、私の悪戦苦闘ぶりに気が付いた妹は、遊び友達との縁を切ることができなくなり、結果的に堅気の生き方が難しくなったのは予想外であった。
私自身は、知らぬ間に周囲から真面目っ子に転向することを応援されていたようで、気が付いたら喧嘩もイジメもなくなっていた。
だからこそ、私には希代のミステリー作家であるジェイムズ・エルロイから目を離せない。エルロイの幼少期から青年時代の苛烈さは私の比ではない。高級売春婦であった母は、路上で殺害され犯人は不明。父はアル中の生活破綻者であり、その父の下で暮らす子供に堅気の生き方なんざ出来るはずはない。
エルロイは路上の不良であり、闇夜の探索者であり、狡賢い盗賊でもあった。幾度か捕まり矯正施設へも送られている。保護司の下で暮らし、その監督下で高校に通っている。このような若者に健全な友人など出来る訳がない。
だがエルロイは高い知能を持つ読書家でもあった。図書館は彼の避難所であり、勉学の場でもあった。彼は自らの社会的存在が危ういことを自覚し、そこから抜け出す手段として作家という道を選ぶ。
大男で腕っぷしにも自信のあるエルロイではあるが、不良青年から堅気の生き方へと転向するのは茨の道であろうことは、私には容易に想像がつく。だがエルロイは真正面から正攻法で茨の道をかき分けた。
それは犯罪を犯したものでなければ分からない世界を直視することだ。犯罪者の目線から見た健全な社会の危うさ、そして健全な人間には描けぬ異様でオゾマしい残虐な犯罪の世界を筆で描き出すことだ。
ミステリー界の最北端、アメリカ文学界の狂犬と称された異端の作家エルロイはかくして生まれた。そのデビュー作が表題の書である。正直、ロス暗黒史四部作や、アメリカ暗黒史三部作と比べると、相当に上品である。
ただしエルロイである。サイコ・ミステリーに免疫がない人には脅威の作品である。私はいきなり「ブラック・ダリア」からエルロイを知ったので、この作品には物足りなさを感じてしまうが、普通の読書好きには相応に心を痛めつけられる内容であろう。
そう、エルロイは読む毎に読者の心を傷付ける媚毒を含んだ作家である。その毒性の強さから、一度読んだら一定期間間を開けないと次を読む気力が湧かない。その意味で、表題の作品はエルロイ入門としては良いかもしれません。興味が湧きましたら是非どうぞ。